■検証36・大石寺「唯授一人血脈相承」が偽作である証拠・「二箇相承」の大ウソ9

 

本是院日叶本・左京阿闍梨日教本・日辰本の内容の矛盾への山口範道の言い訳を斬る2

 

「二箇相承」の解釈に完全に行き詰まった山口範道氏が、著書『日蓮正宗史の基礎的研究』の中で、こんなことを書いている。

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(日蓮正宗僧侶・大石寺富士学林図書館長・山口範道氏の妄説)

一つの事跡に対して数通の異説古文献があって、その中より一つの事実を証拠立てようとする場合、その原本の形状を留める文献が一通しかない場合は立証価値が弱く、証拠文献が二通あるものは立証が強くなるものであると考える。

この二箇相承の場合、重須(北山本門寺)の伝承本と大石寺の伝承本(或いは正本か)と、他の反系に流れていた伝承本との三系統があったものと推測されるのである。

これを証明するに足りる理由は、次の文献より窺えるのである。

すなわち、真蹟か写本かの区別はわからないが、大石寺と重須と小泉に、それぞれ伝承本が一本ずつあったということは、会津実成寺の宝物記録に左の如き日辰の記がある。

「血脈相承三幅 二幅は裏に『弘治二(1556)丙辰年七月七日 日優宗純寂円幸次等於駿州富士郡重須本門寺令拝見之畢今欲趣泉州故記之干時永禄三庚申八月十三日 又永禄二巳未年正月十二日奉拝見之日辰』と書し。一幅には

『永禄二巳未年正月十八日於小泉久遠寺書之重須日出上人寺僧本行坊日輝丹後讃岐民部卿京主日玉等熟披見此書写者也。此外大石寺有一紙御付嘱状是廣格異耳 要法寺日辰』と書す。共に華押あり(新編会津風土記巻之15-216)

右記によれば、大石寺と重須と小泉に伝承本があったことを日辰は証明していると云えるのである。其の他にもう一つの伝承系があったということは、日教と越後本成寺日現は両相承書の配列次第と日付は同じであるが、日教と日現のものは先掲の如く文字の異同が余りにも多い。

これだけの僅か八十字位の短文の二紙の中でそれぞれ十二ヶ処も異なっているということは、日教と日現は同一系統の伝承本を見て書写したのではなく、全く別系統であると考えられるのである。小泉のは転写本もないのでここで取り上げられないが、日廣・日耀(日辰本)は共に同一の重須にあったものを書写したのであるから、重須系であり、日教は大石寺系であり、日現は反系伝承で別系である。したがって両相承書は、大石寺系()と重須要山系()と反系の三系統となるが、日付の系統から分けると二系統となるのである。…

御正本は大石寺創立当時には現存し、これが上代から日有上人の頃の書き物の中に引用され、それがたまたまの日教の書き物の中に、その原文が写されて残ったのであろうということが考えられる。

…重須本のことであるが、日廣や日耀が写したものや、駿府城に奉持したという重須の伝承本は正本ではなくて、花押まで模写したところの古写本であったのではと思うのである。

(山口範道氏の著書『日蓮正宗史の基礎的研究』p4043)

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42-43
 

 

 

 

□強引な解釈で実質的に「二箇相承」が大石寺9世日有の偽作だと認めている山口範道氏

 

山口範道氏は1480(文明12) の本是院日叶(左京阿闍梨日教)の著書「百五十箇条」の中で「二箇相承」の全文を引用していることについて、これを本是院日叶(左京阿闍梨日教)の直記とせずに、1547(天文16)に京都要法寺12祖貫首・日在が「添削前後補接」したものであるとしているが、仮に、そういう解釈を為したところで、歴史上はじめて「二箇相承」の全文を引用した人物は、本是院日叶(左京阿闍梨日教)であることは、かわらない。

そこで山口範道氏は、「重須(北山本門寺)の伝承本と大石寺の伝承本(或いは正本か)と、他の反系に流れていた伝承本との三系統があった」とし、「御正本は大石寺創立当時には現存し、これが上代から日有上人の頃の書き物の中に引用され、それがたまたまの日教の書き物の中に、その原文が写されて残ったのであろうということが考えられる」などと、これまた強引に大石寺に「二箇相承」があった、などという結論づけをしている。

もっとも北山本門寺格蔵の「二箇相承」が公に出てくるのは、本是院日叶(左京阿闍梨日教)の写本が出てから、かなり後のことである。

山口範道氏は要法寺・日廣本のことを言っているが、その日廣本は北山本門寺で書写したと伝承はされているが、日廣本は非公開になっていて、内容を確認できない。

それから要法寺・日辰が大石寺本・重須本門寺(北山本門寺)本・小泉久遠寺本を証明した云々と言っているが、要法寺・日辰は、歴史上はじめて「二箇相承」の全文を引用した本是院日叶(左京阿闍梨日教)よりも、かなり後の人物であるから、「二箇相承」のルーツを証明していることにはならない。

「二箇相承」の解釈に完全に行き詰まった山口範道氏は、自分に都合の良い解釈で、強引な結論づけをしようとしているが、しかしこうした、山口範道氏の強引な結論付けは、裏を返せば「二箇相承」が大石寺9世日有の偽作であることを、実質的に認めてしまっているから面白い。

山口範道氏が認めているように、歴史上はじめて世に出てきた「二箇相承」は、重須本門寺(北山本門寺)本ではなく、本是院日叶(左京阿闍梨日教)が著書の中で全文引用している「二箇相承」。

山口範道氏の言葉を借りるなら、大石寺本ということになる。

「二箇相承」の謎の解明、偽作の解明は、まさに本是院日叶(左京阿闍梨日教)が著書の中で全文引用している「二箇相承」の解明から、はじまるのである。

 

要山13日辰書写の二箇相承(諸記録)
 

(『二箇相承』)