□大歓寺を再起絶望な“お荷物”寺院・ダメ寺院化させた大歓寺二代住職・畑山法俊氏が死去

 

日蓮正宗宗務院機関誌「大日蓮」平成303月号に、横浜市旭区の日蓮正宗寺院・大歓寺第二代住職・畑山法俊氏葬儀の記事が載っている。「大日蓮」の公式報道によれば、畑山法俊氏はかねて病気療養中であったが、2018(平成30)11日、午前10時、死去したという。享年70才であった。すでに「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」で論じてきていることだが、横浜市の大歓寺とは、1989(平成1)12月の法華講大歓寺支部結成から今日に至るまで、ほとんど毎年、折伏誓願目標「未達成」がつづいてきた寺院として、内外に有名である。畑山法俊氏が大歓寺住職を退任した201511月までの26年間で、折伏誓願目標を達成した年は、皆無に近い。まさに日蓮正宗の“お荷物寺院”だったわけで、こんな寺院は600を超える日蓮正宗の全寺院の中でも、ほんのわずか。片手で数えるくらいしかない。大石寺67世日顕、大石寺68世日如は「1990年に3万登山」「2002年に30万登山」「2009年の立正安国論750年までに地涌倍増」「2015年日興生誕770年に法華講員50%増」「2021年日蓮生誕800年に80万法華講員」というような号令を下し、末寺住職・僧侶は信者に「折伏をやれ」「成果を上げろ」と命令する。畑山法俊氏は、「折伏誓願目標未達成」の名前が出る度に日蓮正宗宗務院役僧から「なぜ達成できないのか」と問い詰められ、「厳しい指導」がなされ、大石寺に呼び出されて、大石寺68世早瀬日如法主直々に「未達成」を咎める指南が下される。現今の日蓮正宗首脳による折伏誓願目標未達成住職に対する「折伏推進指導会」の吊し上げ指導の常連だった。畑山法俊氏にとって、大歓寺とはまさに“生き地獄”さながら。日蓮遺文(御書)「王舎城事」の「一火は身に留りて極楽寺焼けて地獄寺となりぬ」(御書全集p975)にちなむ“心生大歓喜転じて心生大阿鼻地獄”“大歓寺転じて大地獄寺”だったことだろう。

そんな畑山法俊氏が、大歓寺住職退任---というより実質的な“罷免”----から約2年で死去。

「畑山法俊氏葬儀」の「大日蓮」報道を読んで、「あれ?」と思って首をかしげたのは、「アンチ日蓮正宗」管理人一人ではないと思われる。

畑山法俊氏の死去は11日午前100分となっているが、その5時間後の午後3時、横浜市戸塚区の斎場で、「枕経」が営まれているのだが、この枕経の導師を勤めたのが、何と大石寺在勤教師の百々正寿氏。この人は、畑山法俊氏が大歓寺副住職だったころ、大歓寺に所化僧(教師叙任前の修行僧)として在勤していた人で、どういうわけか住職経験がない。

通夜は15日、横浜市港南区の斎場で、葬儀は16日、同じく斎場で行われているのだが、通夜、葬儀の導師を勤めたのは、石井栄純・神奈川布教区宗務支院長。大石寺からは大石寺68世早瀬日如法主はおろか、日蓮正宗宗務院役員の誰一人として下向していない。土居崎日裕宗会議長、梅屋誠岳渉外部長が、通夜、葬儀に参列しているが、梅屋誠岳渉外部長は神奈川布教区の横浜久遠寺住職で、宗務役員としてではなく、神奈川布教区の寺院住職として参列。土居崎日裕宗会議長は、神奈川布教区の前宗務支院長で、「客人」として参列している。もし土居崎日裕宗会議長が、大石寺法主の名代として参列していたならば、通夜の導師をしていたはず。ところが、導師もせず、通夜だけ参列して帰ってしまっているのは、「客人」として参列していたことが明らかである。

 

2018.1畑山法俊葬儀1


2018.1畑山法俊葬儀2
 

(大歓寺第二代住職・畑山法俊氏葬儀の記事が載っている「大日蓮」平成303月号)

 

 

 

□大石寺法主から「成仏は許可しない」と冷たく見捨てられた(?)大歓寺二代住職・畑山法俊氏

 

それどころか、大歓寺住職、副住職として23年、所化僧として大歓寺在勤12年。法臈55年のうち、35年を大歓寺で過ごした僧侶の通夜、葬儀が大歓寺本堂ではなく、横浜市内の斎場で行われていることには、驚きである。大歓寺本堂を使ったのは、通夜、葬儀、火葬の後の初七日忌法要だけである。それだけではない。通夜も葬儀も、僧侶と寺族だけで行われており、信者(法華講員)が誰一人として参列していない。「畑山法俊氏葬儀」の「大日蓮」報道を見ると、僧侶席の後方の席は閑散としており、まさに「閑古鳥」状態。法華講大歓寺支部の信徒は、誰も参列していないと思われる。初七日忌法要は大歓寺本堂で行われているので、信徒の参列が写真に写っているが、通夜、葬儀には大歓寺法華講員は参列していない。さらに驚くべき事に、「畑山法俊氏葬儀」に参列した僧侶も寺族も、誰一人、通夜、葬儀で弔辞を読んでいないのである。初七日忌法要には大歓寺法華講員が参列しているが、初七日忌法要でも法華講員は弔辞を読んでいない。

大石寺から法主(日蓮正宗管長・代表役員)も宗務役員も誰も下向しない。通夜、葬儀を寺院本堂を使っていない。通夜、葬儀に信徒(法華講員)が誰一人参列していない。通夜、葬儀、初七日忌法要で誰一人、弔辞を読まない。こんな日蓮正宗寺院住職を経験した僧侶の葬儀は前代未聞である。大歓寺法華講員が、前大歓寺住職の通夜、葬儀に参列していない、誰一人弔辞を読まないのは、畑山法俊氏と大歓寺法華講員の関係が、かなり険悪な関係であったことを窺わせる。

葬儀の喪主(通夜・葬儀の謝辞を兵庫県宝塚市の妙久寺住職・米田法秀氏が述べていることからして、この人が喪主と思われる)が、法華講員の参列を拒否したのか、法華講員のほうから参列を拒否したのか、いずれにしても畑山法俊氏と大歓寺法華講員の関係が、ただならぬ険悪な関係であったことは事実のようである。

日蓮正宗寺院住職ないしは住職経験僧侶の葬儀は、大石寺から法主(日蓮正宗管長・代表役員)が下向して通夜、葬儀の大導師を勤め、法主の随行として日蓮正宗宗務院役員、能化僧ら大量の僧侶が参列するのが、日蓮正宗の通例であり、常識的に行われてきた慣例である。。もちろん寺院本堂ないしは客殿を使う。ところが畑山法俊氏の葬儀は、大石寺から法主(日蓮正宗管長・代表役員)も宗務役員も誰も下向しない。通夜、葬儀を寺院本堂を使っていないのは、これはどう考えても、日蓮正宗による、畑山法俊氏への「懲罰」としか思えない。大石寺法主、日蓮正宗宗務院として、「畑山法俊氏の成仏は許可しない」と言っているに等しいと思うが、どうだろうか。

「そうではない。畑山法俊氏はすでに住職を退任して隠居していたから法主が来なかったのだ」などと言い訳をする者がいるが、これは間違っている。大歓寺初代住職・須賀法重氏も、19987月に住職を退任して隠居し、隠居僧として19996月に死去した。しかし須賀法重氏の場合は、大石寺67世阿部日顕法主が下向して大導師を勤め、法主の随行として日蓮正宗宗務院役僧、能化僧、大石寺内事部役僧らが参列している。もちろん大歓寺本堂で本通夜、本葬儀が行われ、大歓寺総代が弔辞を読んでいる。又、吉田日勇氏等、他の隠居僧の葬儀にも法主や宗務院役僧、能化僧、大石寺内事部役僧らが参列して盛大な葬儀が行われた事例は、いくらでもある。したがって畑山法俊氏の葬儀に、法主や宗務役僧が下向しなかったのは、畑山法俊氏が隠居僧だったからではない。

ここまで日蓮正宗が畑山法俊氏を冷たく突き放したのは、大歓寺を折伏誓願目標を達成した年は皆無に近い、まさに日蓮正宗の“お荷物寺院”“ダメ寺院”にしたことが大きいのではないか。

正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」は、日蓮正宗のみならず、創価学会、顕正会等の「日蓮正宗系」カルト教団が展開している強引・執拗・他人の信教の自由・不信教の自由の権利を侵害する折伏・布教活動に絶対反対であり、直ちに中止を要求する立場である。であれば、大歓寺ないしは法華講大歓寺支部が、毎年出てくる“折伏目標未達成の常連寺院”であることは、むしろ歓迎すべきことで、大歓寺を毎年出てくる“折伏目標未達成の常連寺院”、改善が見込めない“お荷物”寺院・ダメ寺院化させた畑山法俊氏の“不行跡”“無智無能ぶり”は、結果だけを見れば「アンチ日蓮正宗」の活動目的に資することを行っているということになる。よって「アンチ日蓮正宗」としては、畑山法俊氏に弔意を表したい。

しかしながら、何度も言っていることだが、畑山法俊氏は「アンチ日蓮正宗」の謀略破壊工作員ではないし、「アンチ日蓮正宗」は日蓮正宗末寺住職に“謀略破壊工作員”を送り込んで、内部攪乱を謀るなどという、謀略破壊工作は全く行っていない。「アンチ日蓮正宗」の日蓮正宗批判、創価学会批判、顕正会批判、正信会批判、富士門流執着軍団批判は、あくまでも「言論の自由」「表現の自由」等、憲法で認められた権利の範囲内で行っているものであり、あくまでも“正攻法”による批判活動である。大歓寺が“折伏目標未達成の常連寺院”化したのは、大歓寺住職・法華講大歓寺支部は、表向きは“折伏誓願目標達成”を標榜していたが、結果として“お荷物”寺院・ダメ寺院になっただけのことである。「アンチ日蓮正宗」の活動と畑山法俊氏の“不行跡”“無智無能ぶり”は全くの無関係である。

最後に一言。「大日蓮」平成303月号によれば、畑山法俊氏の法名は「持照阿闍梨法俊房日逸大徳」と載っている。日号は「日逸」ということだが、「逸」の文字は、漢和辞典によれば

「にげる。それる。なくなる。見失う。かくれる。誤る。みだら。ほしいまま。気まま。はやる。はぐれる」等々と、ずいぶんネガティブな意味がズラリと並んでいる。僧侶の名前には、おおよそふさわしくない文字に思えるのだが、どうだろうか。こんな日号を付けたのは、大石寺66世細井日達である。それとも、日蓮正宗では「名は体を表す」などと言うらしいが、「日逸」の「逸」の「にげる。それる。なくなる。見失う。かくれる。誤る。みだら。ほしいまま。気まま。はやる。はぐれる」等々のネガティブな意味は、畑山法俊氏の人となりをそのまま表現しているように思えてならないが、読者諸賢はどのようにお考えだろうか。

 

1999.6.26須賀法重葬儀1


1999.6.26須賀法重葬儀3


1999.6.26須賀法重葬儀5
 

(19996月の須賀法重氏(安行阿闍梨法重房日弘大徳)の葬儀を報じる「大歓寺だより」。大石寺67世阿部日顕法主が下向して大導師を勤め、法主の随行として日蓮正宗宗務院役僧、能化僧、大石寺内事部役僧らが参列している)

 

逸の意味
 

(漢和辞典の「逸」の意味)