■検証37・大石寺「唯授一人血脈相承」が偽作である証拠・「二箇相承」の大ウソ10

 

□「点画少しも違わず書写」したはずの「二箇相承」日辰写本に存在する「身遠山久遠寺」の誤記

 

大石寺歴代法主の「唯授一人血脈相承」偽作、「二箇相承」偽作を証明するものは、他にもある。「二箇相承」のひとつ、身延山相承書(池上相承書)の中の身延山久遠寺を「身遠山久遠寺」と記載されているものも、重大な「唯授一人血脈相承」偽作、「二箇相承」偽作の証明である。

京都要法寺第13祖・広蔵院日辰の「二箇相承」写本については、『祖師伝・日陽伝』には次のように書いてある。

「日辰上人、正筆御拝覧の時、点画少しも違わず、書写して、今本寺に在り」(『祖師伝・日陽伝』/大石寺59世堀日亨編纂「富士宗学要集」第5p60

5-60二箇相承頂拝す1
 

---京都要法寺13祖貫首日辰が、北山本門寺で「二箇相承」の日蓮の正筆を拝覧した時、一字一句も間違えず書写したものが、今、大石寺にある----

このように広蔵院日辰が自信をもって1556(弘治2)年、弟子の日燿に書写させたはずの「二箇相承」のひとつ「身延山相承書」(池上相承書)写本の中に、おかしな矛盾がある。

「身延山相承書」(池上相承書)

釈尊五十年

説法相承

白蓮阿闍梨日興

可為身

久遠寺別当也

背在家出家

共輩者可為

非法衆也

弘安五年壬午

    十月十三日

     日蓮在御判

武州池上」

大石寺・身延山附属書3
 

(大石寺蔵・身延山相承書・日辰写本・仏教哲学大辞典より)

 

西山本門寺・身延山相承書2
 

(西山本門寺蔵・身延山相承書・日辰写本)

「身延山相承書」の日辰写本は、純漢文で書かれた文書なのであるが、実はこの文中の「可為身延山」のところが「身遠山」と書かれているのである。「二箇相承」の写本は他にいくつもあるのだが、ここの部分が「可為身延山」と書かれているものもある。日蓮正宗大石寺に格蔵されている、もうひとつの「二箇相承」の写本である大石寺14世日主が1573(天正1)年に書写した写本(通称名・日主写本)には、この箇所が日辰写本と同じように「身遠山」と書かれている。

 

大石寺14日主書写二箇相承(諸記録)
 

(大石寺蔵・大石寺14世日主書写・「二箇相承」・「諸記録」より)

 

 

 

□日蓮自身が命名した「身延山久遠寺」を身遠山と誤記するということは絶対に有り得ない

 

そこで日蓮正宗では、これについて北山本門寺に当時存在していた「二箇相承」重須本の「正本」が「身遠山」と書かれていた可能性が高いなどと言い訳している。しかし大石寺14世日主が法主に在職していた時代は、すでに大石寺と北山本門寺の関係が決裂し険悪な関係になっていた。

そういった中で、19才で大石寺法主に登座した日主が、北山本門寺に出向いて行って、「二箇相承」を臨写したとは、とても考えにくい。大石寺14世日主の「二箇相承」写本は、当時から大石寺に格蔵されていた広蔵院日辰「二箇相承」写本と内容が全く同じであり、大石寺14世日主は単に広蔵院日辰写本を書写したものと考えられる。

それにしても、富士門流八本山のひとつである京都要法寺13祖貫首日辰が「点画少しも違わず書写」したと言って日辰写本を格蔵してきた大石寺だったはずなのだが、その日辰写本の「身延山相承書」の身延山久遠寺を「身遠山久遠寺」と記載されているというのだから、おかしな矛盾である。日蓮正宗が言うように、16世紀半ばの当時、北山本門寺に、本当に「二箇相承」の「日蓮真筆」なるものが存在していて、広蔵院日辰が「二箇相承」の「日蓮真筆」なるものの文を、「点画少しも違わず、書写」したということであれば、その「二箇相承」の「日蓮真筆」なるものに「身遠山久遠寺」と書いてあったということになる。「身延山久遠寺」という山号寺号は、日蓮自身が命名したものである。その日蓮が、-----大石寺が信仰上の命脈中の命脈と称する---「唯授一人血脈相承」の文書「二箇相承」のひとつ「身延山相承書」の中に、身延山を身遠山などと誤記するなどということは、絶対に有り得ない。つまり広蔵院日辰が北山本門寺で「点画少しも違わず、書写」した「二箇相承」は、日蓮以外の人物が「二箇相承」の「日蓮真筆」を詐称した文献ということであり、つまりそれは「偽書」ということに他ならない。

日蓮正宗では、広蔵院日辰写本の「身遠山」とは、単なる書写の間違いではないかなどと言い訳しているようだが、広蔵院日辰は、「点画少しも違わず、書写」したと断言しており、書写の間違いは、とうてい有り得ない。ただしその広蔵院日辰の「二箇相承」写本は、「二箇相承」大石寺本が流転した重須本の写本である。そうではあるが、しかし今の日蓮正宗は、大石寺版「御書全集」に、「二箇相承」大石寺本ではなく、「二箇相承」重須本の広蔵院日辰写本を載せているという事実を見逃してはならない。偽書をでっち上げると、いろんなところに馬脚が現れるというのが世間の通説だが、「二箇相承」が後世の偽作文書である馬脚が、こんなところにも現れている。

さて「アンチ日蓮正宗」で、かつてmixiでこの「身遠山」の誤記問題を検討したところ、元創価学会員・元日蓮正宗信者の方から、次のようなコメントをいただいたので、ここに紹介しておきたい。

 

hideさんへ。御苦労様です。いつもこの様に思っています。どのようにしてこの様な資料を集められるのでしょうか ?創価学会と大石寺の信者さん達は、この様な資料を見る機会がまったくと言ってよいほどありません。大石寺が意図的に情報操作しているからです。そのくせ 信じろ ! 信じないのは 【 謗法 】 だ ! 等と言われるのです。しかし 【 この部分 ・ 身遠山 】 は創価学会教学部と池田大作会長の監修の下、【 仏法哲学大辞典 】 第一巻 130pに大写しの写真が載っています。現在の大石寺の法華講と云う信者さんの集まりも !元はと言えば全員が創価学会です。当時の創価学会員であるならばこの 【 仏法哲学大辞典 】 を持っていないということはありません。…創価学会のみなさん ! 法華講のみなさん !仏法哲学大辞典をよく見て下さい。一点一画の間違いも無しに写したはずの写本です。こんなふざけた 【 写本 】 は他にないと思います。hideさんよろしくお願いします。」

 

確かに大石寺や創価学会が情報操作していることは事実だと思う。しかし「真実」とか「史料」とか「事実」というものは、自らが求めて、捜すなり、調べるなり、動いていかないと入って来ない。「史料」や「事実」のほうから舞い込んでくることはない。日蓮正宗や創価学会の信者は、上層部から言われるがままの本を買って、言われるがままの史料だけを見て、言われるがままの解釈を信じ込んでいるだけの人が圧倒的に多い。良識ある方々、見識ある方々、良心のある方々は、「二箇相承」が本当に日蓮が日興に相伝した文書なのか、それとも後世の偽作なのか。「二箇相承」の真実を是非とも見極めて頂きたいものである。

 

二箇相承2
 

(1970年刊『仏教哲学大辞典』に載っている『二箇相承』