■検証5・本尊七箇相承の本尊書写指南文に違背した本尊を書写している大石寺開祖日興5

 

□提婆達多がなく地獄界が欠け餓鬼界・畜生界に南無を冠する永仁2215日の日興本尊

 

日興は、自ら書写した本尊に十界の衆生を全て書写せず、十界互具になっていない、いわば「十界不互具」になってしまっている本尊を複数書写している。富士門流八本山のひとつ・富士妙蓮寺(日蓮正宗本山)に格蔵されているに格蔵されている永仁2(1294)215日・日興書写の曼荼羅本尊も、そのひとつである。この永仁2215日の日興曼荼羅本尊には、提婆達多が期されていない。つまり大石寺風の言い方をすれば、「提婆達多が列座していない」本尊ということになる。ということは、この本尊は、十界互具になっていない、いわば「十界不互具」になってしまっている本尊ということになる。「本尊七箇相承」なる文書には

「一、十界互具の事義如何、示して云はく釈迦多宝は仏界なり・経に云はく然るに我実に成仏してより已来乃至或いは已身を説き云云、上行等の四菩薩は菩薩界なり、経に云はく一を上行と名づけ等云云、地涌千界乃至真浄大法等云云、舎利弗は声聞界なり・花光如来云云、縁覚界は其の縁覚を求むる者乃至具足の道を聞かんと欲す云云・縁覚界所具の十界なり云云、大梵天王は天界なり、経に云はく我等も亦是の如く必ず当に作仏することを得べし云云、転輪聖王は人界等なり、経に云はく衆生をして仏の知見を聞かしめんと欲す云云、若し人仏の為の故に皆已に仏道を成ず云云、婆稚阿修羅王は修羅界所具の仏界なり云云、竜女竜王等は畜生界なり、経に云はく竜女乃至等正覚を成ず云云、十羅刹女は餓鬼界なり、経に云はく一名藍婆云云、提婆達多乃至天王如来は地獄界なり、已上是れは一代の大綱応仏の上の沙汰なり(此に於いて十界に摂するに二義あり常の如し)。

二、真実の十界互具は如何、師曰はく唱へられ給ふ処の七字は仏界なり・唱へ奉る我等衆生は九界なり、是れ則ち四教の因果を打破つて真の十界の因果を説き顕はす云云、此の時の我等は無作三身にして寂光土に住する実仏なり、出世の応仏は垂迹施権の権仏なり秘す可し秘す可し」

(「本尊七箇相承」大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』1p32)

と書いてあり、「提婆達多が列座していない」本尊、十界互具になっていない「十界不互具」の本尊は、「本尊七箇相承」の文に違背する曼荼羅書写であることは、明らかである。もし本当に「本尊七箇相承」が日蓮から日興への「唯授一人の血脈相承」の相伝として存在していたならば、日興が日蓮の相伝の指南に違背する曼荼羅本尊を書写するはずがない。

さらにこの富士妙蓮寺(日蓮正宗本山)に格蔵されているに格蔵されている永仁2(1294)215日・日興書写の曼荼羅本尊は、餓鬼界・畜生界の鬼子母神、十羅刹女に南無を冠している。餓鬼界・畜生界に南無を冠している日興の曼荼羅本尊は、全くもってデタラメな曼荼羅である。

 

5・永仁2年2月15日の本尊3


5・永仁2年2月15日の本尊1


5・永仁2年2月15日の本尊2
 

 

(永仁2(1294)215日・日興書写の曼荼羅本尊・興風談所「日興上人御本尊集」より)

 

 

 

 

□「仏滅度後二千二百三十余年」が「仏滅後」と略して記している永仁2215日の日興本尊

 

さらに富士門流八本山のひとつ・富士妙蓮寺(日蓮正宗本山)に格蔵されているに格蔵されている永仁2(1294)215日・日興書写の曼荼羅本尊は、通例は「仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大曼荼羅なり」と記されるべき仏滅讃文が、「仏滅度後」ではなく「仏滅後」と記され、「度」の一字が略されている。「本尊七箇相承」なる文書には

「一、仏滅度後と書く可しと云ふ事如何、師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大曼荼羅なりと遊ばさるゝ儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり。」

(「本尊七箇相承」大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』1p32)

と書いてあり、「仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大曼荼羅なり」と、これをそのまま書写することが本尊書写であり、これを略することは「大僻見不相伝の至極なり」としている。もし本当に「本尊七箇相承」が日蓮から日興への「唯授一人の血脈相承」の相伝として存在していたならば、日興が日蓮の相伝の指南に違背する曼荼羅本尊を書写するはずがない。

 

本尊七箇相承1


本尊七箇相承2
 

(「本尊七箇相承」大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』1p32)

 

 

2祖日興1
 

(日興)