■検証39・日蓮正宗大石寺格蔵の「日興跡条条事・日興真筆」の真っ赤な大ウソ2

 

□毎年の霊宝虫払い大法会で披露されるのは大石寺正式見解の正本と称する「日興跡条条事」

 

「日興跡条条事」本文のポイントは

1日興が日目を一閻浮提の座主と定めていること

2 「戒壇の大本尊」なる板本尊を日興が日目に相伝していること

の二つであり、つまりこの「日興跡条条事」の中に

「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊、日目に之を相伝する」

という文があって、日蓮正宗や創価学会はこの文を「戒壇の大本尊」が大石寺二祖日興在世の時代に存在していた文証として挙げている。 しかしそんなに大事な「日興跡条条事」の正本と証する文書が、実は「2通」存在している。又、部分的に文がちがっている写本(いわゆる異本)を含めると、その数はもっと多くなる。「日興跡条条事」の矛盾は、ここから話しを始めねばならない。

日蓮正宗が「正本」と証している二通の「日興跡条条事」とは、冒頭にも掲げたが、以下の二通のことである。

 

1日蓮正宗大石寺の正式見解として「正本」と称している「日興跡条条事」

 

「日興跡条条事

一、本門寺建立の時は新田卿阿闍梨日目を座主として、日本国乃至一閻浮提の内に於いて山寺等の半分は日目嫡子分として管領せしむべし。残る所の半分は自余の大衆等之を領掌すべし。

一、日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊、日目に之を相伝する。本門寺に懸け奉るべし。

一、大石の寺は御堂と云ひ、墓所と云ひ、日目之を管領し修理を加え、勤行を致し広宣流布を待つべきなり

右日目十五の才日興に値ひ法華を信じて以来七十三才の老体に至るまで敢て違失の義無し。十七の才日蓮聖人の所に詣で甲州身延山御在生七年の間常随給仕し、御遷化の後、弘安八年より元徳二年に至る五十年の間、奏聞の功他に異なるに依って、此の如く書き置く所なり。

仍て後の為に証状件の如し。

十一月十日 日興在り判」

(『日蓮正宗聖典』p519・『平成新編御書全集』p1883)

この「日興跡条条事」は、毎年467日の大石寺「霊宝虫払い大法会」にて、大石寺法主が参詣信徒の前で披露する「日興跡条条事」である。

 

日興跡条条事1
 

(霊宝虫払い大法会で日興跡条条事を披露する大石寺67世阿部日顕法主)

 

 

 

□大石寺が霊宝虫払い大法会で披露する「日興跡条条事」と内容が食い違っている大石寺59世堀日亨が「正本」と称する「日興跡条条事」

 

これに対して、大石寺59世堀日亨は、毎年467日の大石寺「霊宝虫払い大法会」にて、大石寺法主が参詣信徒の前で披露する「日興跡条条事」とは、内容が食い違っている「日興跡条条事」を、「日興真筆である」として、「富士宗学要集」に載せている。

 

2日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が「正本」と言っている「日興跡条条事」

 

「日興跡条条事

一、本門寺建立の時は新田卿阿闍梨日目を座主として、日本国乃至一閻浮提の内に於いて山寺等の半分は日目嫡子分として管領せしむべし。残る所の半分は自余の大衆等之を領掌すべし。

一、日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊、弘安五年の御下文、日目に之を授与する

一、大石の寺は御堂と云ひ、墓所と云ひ、日目之を管領し修理を加え、勤行を致し広宣流布を待つべきなり

右日目十五の才日興に値ひ法華を信じてより已来七十三才の老体に至るまで敢て違失の義無し。十七の才日蓮聖人の所甲州身延山に詣り御在生七年の間常随給仕し、御遷化の後、弘安八年より元徳二年に至る五十年の間、奏聞の功他に異なるに依って、此の如く書き置く所なり。

仍て後の為に証状件の如し。

十一月十日 日興在り判」

(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂『富士宗学要集』8p17)

 

この二つの「日興跡条条事」を見比べてもらえればわかることだが、■1の「日興跡条条事」第二条が「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊、日目に之を相伝する。本門寺に懸け奉るべし」となっているのに対して、■2の「日興跡条条事」の第二条は「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊、弘安五年の御下文、日目に之を授与する」となっている。

不思議なことに、大石寺59世法主堀日亨が「正本」と言っている「日興跡条条事」は、「富士宗学要集」に堀日亨が「文」としては載せているが、毎年4月に大石寺で行われる霊宝虫払い大法会で披露されたことは、一度もないという。近年、インターネット上に「日興跡条条事」の写真が流れているが、そのいずれもが■1のほうの日蓮正宗大石寺の正式見解として「正本」と称している「日興跡条条事」で、■2の大石寺59世堀日亨が「正本」と言っている「日興跡条条事」はひとつもない。これもまた奇怪な話しである。

そもそも大石寺歴代法主によって、どれが「日興跡条条事」の「正本」なのかが食い違っていること自体、甚だしい矛盾である。しかもこの「日興跡条条事」なる文書の内容たるや、まったくデタラメ。 とにかくひどい内容の文書である。「日興跡条条事」も、矛盾と欺瞞だらけのまるでデタラメな後世の偽書である。

 

16-17日興跡条条事(旧版)


18-19日興跡条条事(旧版)
 

 

 

(大石寺59世法主堀日亨が正本としている日興跡条条事・大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』8p17)