■検証43・日蓮正宗大石寺格蔵の「日興跡条条事・日興真筆」の真っ赤な大ウソ6

 

□天皇・朝廷から見れば「正式官僧ではない」日目の申状を天皇に伝奏するはずがない2

 

したがって、伝奏が奏上・請願等を天皇や上皇・法皇に取り次いだ社寺とは、朝廷公認の南都六宗である三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、律宗、華厳宗と、天台宗、真言宗のみ。僧侶も、朝廷公認の大乗戒壇の比叡山延暦寺と、延暦寺以前からある日本三大戒壇である奈良・東大寺、筑紫・観世音寺、下野・薬師寺で授戒した僧侶のみが、僧侶として認められたわけだから、ここで授戒していない僧侶は、朝廷からすれば、「どこの馬の骨かわからない私度僧」に過ぎない。

したがって仮に、本当に1281(弘安4)12月に日目が日興の代理で園城寺申状を時の天皇に奏上しに京都に上洛したとしても、天皇から見れば「正式官僧ではない」日目の申状を朝廷が天皇に伝奏する道理が全くない。

また、1281(弘安4)12月と言えば、日興や日目の師匠である日蓮がまだ生きていた時代のことである。日蓮は、立宗宣言をする以前に、比叡山延暦寺をはじめ京都・奈良の南都六宗・八宗で修行し、授戒した僧侶である。したがって、日目が仮に申状を携えて京都に上洛したとしても、伝奏が申状を天皇に取り次がれないことは日蓮は百も承知であった。その日蓮がわざわざ日目に「園城寺申状」なる文書を持たせて、京都に上洛させるはずがない。

もう一つ言うと、鎌倉時代においても、身延・冨士地方から京都に上洛するには、旅費交通費、宿泊費、食費などの多額の費用がかかるが、鎌倉時代の身延山中で生活していた日蓮は、まさに極貧の生活をしていたことが、日蓮の遺文(御書)に書き残されている。したがって、鎌倉時代の日蓮か生きていた頃に、日興・日目に京都に上洛できるほどの経済力を有していなかった。

したがって、1281(弘安4)12月に日目が日興の代理で上洛したとする園城寺申状なる文書は、全くの後世の偽作であり、ニセ文書であると断ずるものである。

1281(弘安4)12月に日目は京都に上洛などしていないのである。

 

16-17日興跡条条事(旧版)


18-19日興跡条条事(旧版)
 

(園城寺申状が載っている大石寺59世堀日亨が日興真書と称している日興跡条条事大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』8p17)

 

 

 

□「日興跡条条事」第一条の文は日目・京都天奏とは全くの無関係の文である

 

さてその日目天奏についてであるが、富士門流研究家・東佑介氏が201111月号「法華仏教研究」6号に寄せた論文「富士大石寺所蔵『日興跡条条事』の考察」の中で、実に珍妙・奇怪な説を書いている。東佑介氏は、「日興跡条条事」第一条の文

「一、本門寺建立の時は新田卿阿闍梨日目を座主として、日本国乃至一閻浮提の内に於いて山寺等の半分は日目嫡子分として管領せしむべし。」

について、こんなことを書いている。

「これによれば、本門寺建立の暁には日目師が座主として一閻浮提のうちの半分を統括するというのである。このことを換言すれば、広宣流布は日目師の天奏によってなされなければならないということでもある」

「そうした状況下にあって生命を脅かされるほどの体調不良に陥っていた日目師に対して、日目師在世中の広宣流布を命じるとは到底考えがたいものがある」

(201111月号「法華仏教研究」6p2830)

 

一体、どこをどう読んだら、「日興跡条条事」第一条の文が、日興が日目に天奏を命じた文になってしまうのか。東佑介氏は「本門寺建立の暁には日目師が座主として一閻浮提のうちの半分を統括する」の文は、「広宣流布は日目師の天奏によってなされなければならない」という意味に勝手に解釈している。

「日興跡条条事」第一条の文は天奏とは全く無関係の文であり、東佑介氏の解釈は著しい的外れであり、誤謬も甚だしいものがある。それにしてもどうしてこんな奇怪な解釈になっているのか。

東佑介氏は著書、ブログ、最近では「法華仏教研究」なる雑誌に投稿しているようだが、仏教法義・教学そのものを全く検証せずに、古文書の文の表面だけを追い続けて、我流の説を立てるため、ことごとく的外れな解釈になってしまっている。

この「日興跡条条事」第一条の文の解釈も全く同じ。そもそも「日興跡条条事」偽作の検証は、古文書の表面に書いてある文だけを読んで、あれこれ解釈しても検証・研究にならない。

本尊や古文書の偽作の検証・研究は、表面の文の意味の解釈のみならず、仏教法義、教学、宗学から日本の政治、歴史、人物像、文化、経済、仏教史等々、ありとあらゆる側面からの検証・研究が必要になる。決して古文書の文の表面だけを追い続けるだけで、「日興跡条条事」偽作の検証は成り立たない。ありとあらゆる側面からの検証・研究を行わずに偽作問題に取り組んでも、行き着く先は、行き詰まって著しく的外れな結論を生み出すだけである。こんな検証・研究はまさに「百害あって一利無し」。東佑介氏の「日興跡条条事」第一条の文の解釈もまさにこれである。

東佑介氏は201111月号「法華仏教研究」6号に寄せた論文「富士大石寺所蔵『日興跡条条事』の考察」の中で「日興跡条条事」偽書説を立てているようだが、こういう的外れな説を立てて雑誌に投稿することにより、読む人をして混乱せしむることは明らかである。

又、多くの人が読む雑誌に、東佑介氏がこんな誤謬説を投稿することによる影響力も看過できない。こういう東佑介氏の誤った姿勢は、正常な日蓮正宗批判活動の重大な障害になっている。

東佑介氏は、このような誤った説を立てることはやめて、すみやかに正常な姿勢に立ち返ることを望むものである。

 

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(東佑介氏が201111月号「法華仏教研究」6号に寄せた論文「富士大石寺所蔵『日興跡条条事』の考察」p28-30)