■検証8・本尊七箇相承の本尊書写指南文に違背した本尊を書写している大石寺開祖日興8

 

□地獄界・修羅界・人界・菩薩界等が欠けた十界不互具になっている日興本尊2

 

「本尊七箇相承」なる文書には

「一、十界互具の事義如何、示して云はく釈迦多宝は仏界なり・経に云はく然るに我実に成仏してより已来乃至或いは已身を説き云云、上行等の四菩薩は菩薩界なり、経に云はく一を上行と名づけ等云云、地涌千界乃至真浄大法等云云、舎利弗は声聞界なり・花光如来云云、縁覚界は其の縁覚を求むる者乃至具足の道を聞かんと欲す云云・縁覚界所具の十界なり云云、大梵天王は天界なり、経に云はく我等も亦是の如く必ず当に作仏することを得べし云云、転輪聖王は人界等なり、経に云はく衆生をして仏の知見を聞かしめんと欲す云云、若し人仏の為の故に皆已に仏道を成ず云云、婆稚阿修羅王は修羅界所具の仏界なり云云、竜女竜王等は畜生界なり、経に云はく竜女乃至等正覚を成ず云云、十羅刹女は餓鬼界なり、経に云はく一名藍婆云云、提婆達多乃至天王如来は地獄界なり、已上是れは一代の大綱応仏の上の沙汰なり(此に於いて十界に摂するに二義あり常の如し)。

二、真実の十界互具は如何、師曰はく唱へられ給ふ処の七字は仏界なり・唱へ奉る我等衆生は九界なり、是れ則ち四教の因果を打破つて真の十界の因果を説き顕はす云云、此の時の我等は無作三身にして寂光土に住する実仏なり、出世の応仏は垂迹施権の権仏なり秘す可し秘す可し」

(「本尊七箇相承」大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』1p32)

と書いてあり、曼荼羅本尊の相は、十界が全て整即した十界互具の曼荼羅を書写するように指南している。ところが、日興は、自ら書写した本尊に十界の衆生を全て書写せず、十界互具になっていない、いわば「十界不互具」になってしまっている本尊を複数書写している。

 

(1)弘安十年十月十三日の本尊 迹化菩薩、声聞・縁覚界なし

 

1-42.43
 

(4)正応三年十月八日の本尊 迹化菩薩、声聞・縁覚界なし

 

4-44.45
 

(5)正応三年十月十三日の本尊(大石寺「お座替わり本尊」 提婆達多なし

 

5-46.47
 

(9)永仁二年二月十五日の本尊 提婆達多なし

 

9-54.55
 

 

 

 

(13)永仁六年 月 日の本尊 仏界・人界・修羅界・地獄界なし

 

13-58.59
 

(17)正安三年十月十日の本尊 提婆達多なし

 

17-62.63
 

(18)正安三年十月十三日(1)の本尊 提婆達多なし

 

18-64.65
 

(19)正安三年十月十三日(2)の本尊 提婆達多なし

 

19-66.67
 

(20)正安三年十月 日の本尊(世尊寺蔵) 提婆達多なし

 

20-68.69
 

(21)正安三年十月 日の本尊(小泉久遠寺蔵) 提婆達多なし

 

21-70.71
 

(24)正安四年四月八日の本尊  迹化菩薩、声聞・縁覚界、人界、修羅界、地獄界なし

 

24-72.73
 

(26)乾元二年二月十三日の本尊 提婆達多なし

 

26-74.75
 

(28)乾元二年四月八日の本尊(久成寺蔵) 提婆達多なし

 

28-76.77
 

(29)乾元二年四月八日の本尊(本妙寺蔵) 提婆達多なし

 

29-78.79
 

(30)乾元二年四月八日の本尊(住本寺蔵) 提婆達多なし

 

30-80.81
 

(32)乾元二年五月八日の本尊 迹化菩薩、声聞・縁覚界、人界、修羅界、地獄界なし

 

32-82.83