■検証11・本尊七箇相承の本尊書写指南文に違背した本尊を書写している大石寺開祖日興11
□地獄界・修羅界・人界・菩薩界等が欠けた十界不互具になっている日興本尊4
■(265)元徳三年二月十五日の本尊 人界・修羅界・地獄界なし
■(270)元徳三年六月二十七日の本尊 人界・修羅界・地獄界なし
■(271)元徳三年八月十五日の本尊 人界・修羅界・地獄界なし
■(273)元弘元年九月十三日の本尊 人界・修羅界・地獄界なし
■(274)元徳三年十二月五日の本尊 人界・修羅界・地獄界なし
■(275)元徳三年六月二十日の本尊 人界・修羅界・地獄界なし
■(276)元徳四年一月十五日の本尊 人界・修羅界・地獄界なし
■(277)元徳四年一月二十九日の本尊 人界・修羅界・地獄界なし
■(279)正慶元年六月二十六日の本尊(世尊寺蔵) 人界・修羅界・地獄界なし
■(280)正慶元年六月二十六日の本尊(根本寺蔵) 人界・修羅界・地獄界なし
■(282)正慶元年十一月三日の本尊(最前上奏仁新田卿阿闍梨日目授与・日道相伝) 人界・修羅界・地獄界なし
□日興が「座替わり本尊」「最前上奏仁本尊)を略本尊で書写するなどということは絶対有り得ない
日興が書写した曼荼羅本尊で、地獄界・修羅界・人界・菩薩界等が欠けた十界不互具になっている日興本尊は、こんなにたくさんある。もし日興が本当に「本尊七箇相承」を日蓮から相承されていたら、「本尊七箇相承」の指南に反する曼荼羅本尊をこんなにたくさん書写するはずがない。
日蓮正宗の者の中に、「これは法主の略本尊である。『本尊七箇相承』には違背していない」などと言い訳をする者がいるが、これはゴマカシの詭弁である。なぜなら、これら一連の地獄界・修羅界・人界・菩薩界等が欠けた十界不互具になっている日興本尊の中には、日蓮正宗が大石寺二祖日興から三祖日目への血脈相承の証明だと称する、正応三年十月十三日の本尊(大石寺「お座替わり本尊」)や、日興・日目・日道の血脈相承の証明だと称する正慶元年十一月三日の本尊(最前上奏仁新田卿阿闍梨日目授与・日道相伝脇書本尊)が含まれている。
これら日蓮正宗の「大事の本尊」が、法主の略本尊として書写するなどということは、有り得ない。
つまり、日興は、これら曼荼羅本尊書写を「本尊七箇相承」の指南とは関係なく行っていることが明らかであり、日興在世の代に、「本尊七箇相承」なる文書が存在していなかった証明である。
(本尊七箇相承・大石寺59世堀日亨編纂「富士宗学要集」1巻)
(日興)
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