■検証46・日蓮正宗大石寺格蔵の「日興跡条条事・日興真筆」の真っ赤な大ウソ9

 

□大石寺には創建当初から「本堂」「御堂」「客殿」と呼ばれる堂宇はなかった

 

大石寺には創建当初から「本堂」「御堂」「客殿」と呼ばれる堂宇はなかった。

「日蓮聖人の御影並びに御下文園城寺申状」と題する文書には

「日興上人御遺跡の事

日蓮聖人の御影並びに御下文園城寺申状

上野六人老僧の方巡に守護し奉るべし。但し本門寺建立の時は本堂に納め奉るべし。此の条・日興上人の仰せに依って支配し奉る事・此の如し。此の旨に背き異議を成し失たらん輩は永く大謗法たるべきなり。誡めの状件の如し。

正慶二年癸酉二月十三日  日善在判、日仙在判、日目在判」

(『富士宗学要集』8p18)

「百六箇抄」には

「四十三、下種の弘通戒壇実勝の本迹、 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり。」

(『富士宗学要集』1p18)

「又五人並に已外の諸僧等、日本乃至一閻浮提の外万国に之を流布せしむと雖も、日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり。」

(『富士宗学要集』1p21)

と、「本堂」の語句があるが、日興、日目在世当時の大石寺には、本堂も御堂も客殿も存在していなかった。したがって「本堂」の語句が出てくる「百六箇抄」「日蓮聖人の御影並びに御下文園城寺申状」なる文書は、後世の偽書である。

そもそも大石寺「本堂」「客殿」とは、日蓮正宗大石寺9世日有が京都・奈良の仏教寺院から輸入した伽藍である。大石寺9世日有以前の大石寺、大石寺門流の寺院には「本堂」「客殿」というものがなかった。住職や僧侶の持仏堂はあったが、本堂はなかったのである。したがって、この「日蓮聖人の御影並びに御下文園城寺申状」と題する文書は、後世の偽書である。

持仏堂というのは、持仏や先祖の位牌(いはい)を安置しておく堂、または室。仏間のことで、仏壇をいうこともある。つまり住職や僧侶個人の本尊を祀っている仏間のことである。

日蓮正宗では、住職や僧侶個人授与の本尊、ないしは個人授与の本尊を祀っている仏間のことを「御内仏」と呼んでいるが、持仏堂とはまさにこの御内仏を祀る仏間ということである。

これに対して本堂とは、仏教寺院において、本尊仏を安置する建物。寺院で中心本尊を祀っている堂宇のこと。寺院の中心的な堂を指して「本堂」ということが多い。

 

 

 

□大石寺「本堂」「客殿」とは日蓮正宗大石寺9世日有が京都・奈良の仏教寺院から輸入した伽藍

 

ただし「本堂」という名称は、宗派によって名前が異なっている。

「金堂」が、南都六宗や真言宗など飛鳥時代から平安時代前半にかけての古代創建の寺院で多く使われているのに対し、「本堂」は宗派にかかわらず、古代以降も含め広く使用される。

一般的に南都六宗や真言宗など大陸より初期に渡来した系統の伽藍においては「金堂」、禅宗にあっては「仏殿」、天台宗では「根本中堂」もしくは「中堂」、日本的発展を遂げた寺院では「本堂」と称する場合が多い。室生寺や當麻寺のように「金堂」と「本堂」が別個に存在する寺院もある。

呼称は宗派によって違うが、本堂とは、寺院において、中心本尊を祀っている堂宇のことを指すわけであり、これは住職や僧侶個人の本尊を祀っている仏間である持仏堂とは区別される。

富士門流において、最初に本堂らしき伽藍が出来たのは重須本門寺(北山本門寺)の御影堂だが、大石寺の場合は、日興が持仏堂を建立し、弟子が塔中坊を建立していったが、本堂も客殿もなかった。塔中坊も今は本堂と呼んでいるが、近世になるまで「客殿」と呼んでおり、江戸時代に書かれた「富士大石寺明細誌」にも塔中坊の本堂には本堂とは書いておらず「客殿」と書いてある。

その客殿を大石寺門流で創建したのは大石寺9世日有であり、日有以前には塔中坊には客殿もなかった。大石寺で最初に御影堂を建立したのは大石寺12世日鎮であり、今の御影堂は江戸時代初期に大石寺17世日精が再建したものである。

西山本門寺も、小泉久遠寺も、保田妙本寺も、富士妙蓮寺も、最初に建立したのは「法華堂」であり、その後、大坊(庫裡)、客殿、御影堂というふうに伽藍が発展した。本堂と呼ばれる堂宇は存在していなかったのである。

しかし富士門流の場合は、大石寺の他、冨士妙蓮寺、保田妙本寺、北山本門寺、西山本門寺、小泉久遠寺、伊豆実成寺、讃岐本門寺等、祖師堂と客殿の二堂建てるのが通例になっていて、古来からの堂宇に本堂という名の堂宇はない。西山本門寺、小泉久遠寺、伊豆実成寺は、客殿として建立された堂宇を、現在、本堂と呼んでいる。

 

9世日有3(諸記録)
 

 

(大石寺9世日有「諸記録」より)

 

客殿8(大石寺案内)
 

(現在の大石寺客殿「大石寺案内」より)

 

1948-1961大石寺客殿
 

(1950年代のころの大石寺客殿)