2002131日の和解は日蓮正宗・創価学会の「宗創戦争」を実質終結させる和解である

 

「アンチ日蓮正宗」には、「現在の日蓮正宗と創価学会の関係はどうなっているのか」「日蓮正宗と創価学会の『ケンカ』はつづいているのか」「日蓮正宗と創価学会の関係はなれ合いの『出来レース』なのではないか」等々、さまざまな問い合わせが来ている。そこで、現下の日蓮正宗・創価学会の情勢として、はっきり断言しておかなくてはならないことがある。

それは、日蓮正宗と創価学会は、2002131、東京高等裁判所の仲介により、本尊、教義の問題以外について「和解」しているということである。この2002131日の「和解」とは、東京高等裁判所における「シアトル事件」を終結させるために締結した「和解」だが、これは単にシアトル事件裁判を終結させるだけの和解ではなく、199012月の池田大作総講頭罷免に端を発した日蓮正宗と創価学会の「宗創戦争」を実質的に終結させる「和解」である。日蓮正宗も創価学会も、「この和解は、シアトル事件を終結させるためだけの和解であり、日蓮正宗と創価学会の紛争が終わったわけではない」などと言い訳しているが、これは全くのウソ。この「和解」は、実質的に日蓮正宗と創価学会の「宗創戦争」を終結させる和解である。それは、和解書の内容を検証して行けば、自ずと明らかになることである。それはどういうことなのか。

まず第一の文にこうある。

 

「当裁判所は、次の理由により、控訴人(日蓮正宗、大石寺)らが本件各訴えを取り下げ、被控訴人(池田大作、創価学会)らがいずれもこれに同意して、本件訴訟を終了させることを強く勧告する」(2002131日の日蓮正宗・創価学会の和解)

 

当裁判所とは、シアトル事件の控訴審を審理していた東京高等裁判所。本件各訴え、本件訴訟とは、シアトル事件の控訴審のことである。これだけ読むと、シアトル事件終結の和解のように見えなくもないが、次につづく本文には、次のようにある。

 

「本件訴訟の係属そのものが、控訴人(日蓮正宗、大石寺)ら及び被控訴人(池田大作、創価学会)らにおいて、それぞれの教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成して、その維持、発展を図っていく上で、相応しくなく、むしろその妨げとなるおそれがあること。」

(2002131日の日蓮正宗・創価学会の和解)

 

31シアトル事件和解
 


30-31シアトル事件和解

2002.1.31宗創和解(聖教新聞)1


2002.1.31宗創和解(聖教新聞)2
 

この中に「教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成」という文面が並んでいるが、これは言うまでもなく宗教法人法に謳われている文言である。宗教法人法第二条にはこうある。

「この法律において、「宗教団体」とは、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする左に掲げる団体をいう」

 

宗教法人法1-3
 

 

 

□宗教法人法の目的の維持、発展に相応しくなく妨げになると東京高等裁判所から断罪された日蓮正宗・創価学会

 

つまりシアトル事件の係属そのものが、宗教法人法の目的である「教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成」して、その維持、発展を図っていく上で、相応しくなく、その妨げになると、東京高等裁判所から断罪されているのである。

和解書には「本件訴訟の係属そのものが」とあるから、これは確かにシアトル事件の控訴審だけを指してはいるが、よく考えていただきたいのだが、この当時、日蓮正宗と創価学会は、シアトル事件裁判の他にも、芸者写真裁判などの訴訟があった。芸者写真裁判は、最終的に最高裁判所まで両者が争ったのだったが、日蓮正宗と創価学会が複数の訴訟を係争している中で、

「本件訴訟の係属そのものが、控訴人(日蓮正宗、大石寺)ら及び被控訴人(池田大作、創価学会)らにおいて、それぞれの教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成して、その維持、発展を図っていく上で、相応しくなく、むしろその妨げとなるおそれがあること。」

と裁判所から断罪されたことは重い事実である。つまり「シアトル事件裁判の係属そのものが、宗教法人法の目的に相応しくなく、むしろ妨げになる」というのなら、その他の日蓮正宗と創価学会で係争していた訴訟もまた、「宗教法人法の目的に相応しくなく、むしろ妨げになる」ということになる。つまり東京高等裁判所の「本件訴訟の係属そのものが、控訴人(日蓮正宗、大石寺)ら及び被控訴人(池田大作、創価学会)らにおいて、それぞれの教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成して、その維持、発展を図っていく上で、相応しくなく、むしろその妨げとなるおそれがあること。」との和解勧告は、シアトル事件裁判の係争のみにとどまらず、日蓮正宗と創価学会の「宗創戦争」そのものを終結させることを勧告したものと解釈することが、相応と言えよう。

もちろん、裁判所が和解を勧告しても、勧告を拒否して判決まで進行させていくことができる。しかし日蓮正宗も創価学会も、東京高等裁判所の和解勧告を受け容れ、「和解」した。ではなぜ日蓮正宗と創価学会は和解したのか。それは宗教法人法の条文を読めば、自ずと明白になる。

宗教法人法第81条には次のようにある。

「裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる。

一 法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと

一 第二条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は一年以上にわたってその目的のための行為をしないこと」

 

この条文によれば、宗教法人法第二条、つまり宗教法人の「宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする」行為から著しく逸脱した行為をしたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求、又は裁判所の職権で解散を命ずることができる。つまりシアトル事件裁判で、東京高等裁判所は「本件訴訟の係属そのものが、控訴人(日蓮正宗、大石寺)ら及び被控訴人(池田大作、創価学会)らにおいて、それぞれの教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成して、その維持、発展を図っていく上で、相応しくなく、むしろその妨げとなるおそれがあること。」と認定した。こうなった以上、東京高等裁判所の和解勧告を拒否して判決まで突進していった場合、宗教法人法「第二条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をした」宗教団体ということで、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求、又は裁判所の職権で、日蓮正宗、創価学会双方とも解散命令が出てしまう可能性が出てきたからである。解散命令が出てしまっては、それは宗教団体の「死」を意味する。したがってそうなってしまう前に、日蓮正宗、創価学会は「和解」したのである。

 

宗教法人法61-87
 

(宗教法人法)