□創価学会は大石寺67世日顕を血脈断絶とするが唯授一人血脈相承自体を否定していない

 

それでは逆に創価学会による「日蓮正宗批判」はどうなのか。これも、内容はとても「日蓮正宗批判」と呼べるような内容のものではなく、創価学会を破門にした大石寺67世日顕批判をメインには置いているものの、その実態は相も変わらずの聖教新聞セールス、創価学会脱会信徒に対する創価学会復帰セールス、そして創価学会丸儲けの「日寛新本尊」(日蓮正宗が言うニセ本尊)セールスである。こんなものはとても「日蓮正宗批判」などと、呼べたものではない。

日蓮正宗の教学における最大の問題、根本悪の問題は、大石寺9世日有による「戒壇の大本尊」偽作、日蓮本仏義偽作、唯授一人血脈相承偽作である。そしてこれに付随する二箇相承偽作、日興跡条条事偽作、百六箇抄偽作、本因妙抄偽作、本尊七箇相承偽作、本尊三度相伝偽作、御義口伝偽作、産湯相承事偽作、日興遺誡置文偽作、日蓮真骨偽作、日蓮墓所偽作、最初仏偽作。さらにその後の大石寺17世日精ら後世の法主による日蓮肉牙偽作、御秘符偽作、深夜の丑寅勤行でっち上げ、日蓮以来七百年間、一点の濁りもなく日蓮仏法を伝承してきたという大ウソのでっち上げ、江戸時代以来、法難における金沢信徒をはじめとする法難信徒、京都要法寺の斬り捨て等、仏教者にあるまじき冷酷無慈悲な歴史である。

ところが創価学会は、大石寺67世阿部日顕はボロクソに非難はするものの、「戒壇の大本尊」も日蓮本仏義も唯授一人血脈相承も偽作だとは全く言っていない。もちろん、二箇相承も日興跡条条事も百六箇抄も本因妙抄も本尊七箇相承も本尊三度相伝も御義口伝も産湯相承事も、日興遺誡置文も大石寺の自称「日蓮真骨」も「日蓮墓所」も最初仏も偽作だとは全く言っていない。

そもそも創価学会は、1952(昭和27)年に大石寺59世堀日亨が編纂した御書全集を今でも使っており、その中に二箇相承、百六箇抄、本因妙抄、御義口伝、産湯相承事、日興遺誡置文がしっかり収録されており、創価学会が二箇相承、日興跡条条事、百六箇抄、本因妙抄、御義口伝、産湯相承事等をメインにした唯授一人血脈相承を偽作と断言できるはずがない。創価学会は公式には今でも二箇相承、日興跡条条事、百六箇抄、本因妙抄、御義口伝、産湯相承事等においては真書説をとっており、日蓮正宗と教学的立場は全く同じである。

創価学会の日蓮正宗「批判」のメインは、大石寺67世日顕批判で、そこから飛び火して要法寺出身法主、大石寺17世日精、60世日開、62世日恭、大石寺58世日柱追放クーデターを批判してはいるが、唯授一人血脈相承を偽作とは言っていないし、否定はしていない。これは、大石寺現法主に信伏随従していない、今の創価学会を正統化したいだけのことである。

一度だけ創価学会系アングラ怪文書「地涌」が、大石寺の唯授一人血脈相承を「邪義」と書いたことがあったが、それっきり。しかし「地涌」が何を書いたとしても、それは創価学会の公式見解ではない。又、創価学会は「宗創戦争」が勃発した当初、199111日付けで日蓮正宗に充てた文書で、唯授一人血脈相承の否定を「根本悪」「大謗法」などと言って釈明していた。この文書は、創価学会会長 秋谷栄之助の名前で出した創価学会の公式文書・正式見解である。創価学会が唯授一人血脈相承を否定するということになれば、199111日の創価学会の正式見解と自己矛盾に陥る。したがって、阿部日顕の血脈を否定する「法主の大陰謀」「法主詐称」「偽法主阿部日顕」をいった本を、創価学会自身ではなく、日蓮正宗を離脱して創価学会の腰巾着になった僧侶集団に書かせている。創価学会にとって都合が悪くなれば、斬り捨てるつもりなのであろう。

さらに創価学会の「日寛新本尊」(日蓮正宗が言うニセ本尊)授与を理論的に正統化する論文を書かせているが、これは血脈相承否定というよりも、創価学会の日寛新本尊セールスを正統化したいだけのことである。

 

法主詐称1


法主の大陰謀1


偽法主阿部日顕1
 

(創価学会が、日蓮正宗を離脱して創価学会の腰巾着になった僧侶集団に書かせている阿部日顕の血脈否定の本)

 

 

 

 

□日蓮正宗と同じ穴の狢・同根・同罪の創価学会に的確な日蓮正宗批判ができるわけがない

 

そもそも創価学会は、大石寺66世細井日達の代まで、それこそ「僧俗和合」「僧俗一致」と言われる二人三脚で日蓮正宗と和合路線を歩んでいた。197953日までは、毎年行われていた創価学会本部総会に、大石寺法主(日蓮正宗管長)、日蓮正宗宗務院役員が出席し、満座の創価学会員を前にして、法主が「特別講演」と題する説法をしていた。日蓮正宗は創価学会の「折伏大進撃」と呼ばれる過激折伏を全面的に支持し、創価学会の分派である顕徳会、松本勝弥氏、創価学会批判をしていた日蓮正宗寺院、蓮華寺、大乗寺、創価学会と論争を巻き起こして暴力事件を起こした妙信講を宗外に追放した。創価学会は大石寺に奉安殿、大講堂、大坊、六坊、大客殿、正本堂の伽藍、三百を超える日蓮正宗末寺寺院を寄進・供養している。しかも「宗創戦争」が勃発して以降も、日蓮正宗の大客殿、正本堂取り壊しを非難し、「創価学会を破門にするなら、創価学会が寄進した寺院から出て行け」と非難していた。つまり第2次宗創紛争突入後も、創価学会として、宗創和合時代の創価学会の伽藍・寺院供養の歴史を肯定していたわけで、これはとりもなおさず、少なくとも第2次宗創紛争突入後も、大石寺66世細井日達の代までの「唯授一人血脈相承」を認めているということに他ならない。

創価学会は、今でも唯授一人血脈相承自体は否定しておらず、創価学会が否定しているのは大石寺67世日顕の血脈である。創価学会は要法寺出身法主、大石寺17世日精、60世日開、62世日恭を非難しているが、これらはいずれも日蓮正宗と創価学会が和合協調路線だった時代、なかんずく大石寺66世細井日達法主よりも以前の法主であり、これらの法主をいくら非難しても、それらの法主の血脈自体は否定できないし、否定していない。

しかし創価学会も、19797月の大石寺67世日顕の大石寺法主登座から約12年は、阿部日顕法主と和合路線を歩んでいた。阿部日顕の法主登座直後のころは、日蓮正宗寺院全体の3分の2になんなんとするくらいの正信覚醒運動の活動家僧侶(後の正信会)が、大石寺66世日達から大石寺67世日顕へり血脈相承を否定し、日顕法主が苦境の最中にあった。そんな中で、創価学会は阿部日顕法主を全面的に支持し、阿部日顕法主も創価学会を全面的に信頼して、198210月には阿部日顕法主は池田大作に「賞大法護持広布並世界平和貢献之功」の脇書が入った賞与本尊を授与。これに対して池田大作は、大石寺の宴席で二百箇寺建立を発願。19841月に阿部日顕法主は、池田大作を法華講総講頭に任命している。

そんな創価学会と阿部日顕法主が決裂したのは199012月の池田大作総講頭罷免事件である。これ以降、日蓮正宗と創価学会は全面戦争に突入し、ついには阿部日顕法主の血脈を否定するに至るのだが、そもそも阿部日顕法主と約12年間、和合路線を歩んだ創価学会が、阿部日顕法主から「破門」されたからとて、大石寺の唯授一人血脈相承を否定するには、到底無理がある。

そもそも阿部日顕法主と和合していたときは、日顕法主の血脈相承を認め、日顕法主を全面支持して、一代前の日達法主から日顕法主への血脈相承を否定していた正信会を「大謗法だ」と非難していた。だったら、いつから日顕法主の血脈が断絶したのか。日達法主から日顕法主への血脈相承を否定するのなら、それは完全な正信会の二番煎じであり、正信会の教義のパクリ、コピーである。創価学会は正信会の日顕法主血脈否定を非難していたわけだから、創価学会自体が自己矛盾に陥ってしまう。

したがって創価学会は、いくら大石寺67世日顕を非難しても、大石寺の唯授一人血脈相承自体を否定することができないのである。

 

日顕・賞与本尊1
 

(198210月、阿部日顕法主が池田大作に授与した「賞大法護持広布並世界平和貢献之功」の脇書が入った賞与本尊を報じる聖教新聞)

 

日顕・総講頭1


日顕・総講頭4


日顕・総講頭3
 

 

(19841月、阿部日顕法主が池田大作を法華講総講頭に任命したことを報じる聖教新聞)