□創価学会総本部板本尊も東京牧口記念館本尊も日寛新本尊も「戒壇の大本尊」の分身散体

 

こう言うと日蓮正宗や法華講員たちは、「201411月の会則変更で創価学会は『戒壇の大本尊』を否定しているではないか」などと言うのだが、これは本尊セールス、大石寺登山会セールスをやりたいが為の日蓮正宗の詭弁である。

創価学会は、201411月の会則変更で「弘安二年の御本尊は受持の対象とはしない」と宣言したのだが、これは日蓮正宗から破門された以降、大石寺登山ができなくなり、「戒壇の大本尊」内拝が受けられなくなった創価学会の現状を、教学的にただ追認しただけのことである。これは「戒壇の大本尊」の否定ではない。

なぜなら東京八王子の東京牧口記念館に祀られる本尊は、1951年に戸田城聖が願主になり、大石寺64世日昇が下附した「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の脇書が入った曼荼羅本尊。


1993.10.24-1牧口記念会館・創価学会常住本尊

201311月に新築落成した創価学会総本部・広宣流布大誓堂に祀られる本尊は、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の脇書が入った曼荼羅本尊を、19751月に池田大作が板本尊に模刻した本尊。


2013.11.6-1落慶入仏式・創価学会常住板本尊


1975.1.1-1板本尊入仏式

あの有名な創価学会の昭和52年路線の板本尊模刻事件で有名な板本尊だが、しかしこの板本尊は、197711月、大石寺66世細井日達法主が創価学会旧本部・師弟会館に下向して開眼入仏を行い、そのまま師弟会館に祀られ続けていた板本尊である。


1977.11.9-1板本尊開眼法要


1977.11.9-2板本尊開眼法要

創価学会員が今、日々拝んでいる「日寛新本尊」(日蓮正宗が言うニセ本尊)は、日蓮正宗の元寺院であった栃木県小山市・淨圓寺が所蔵していた享保5年(1720年)の大石寺26世日寛書写の曼荼羅本尊をコピーした本尊である。「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の脇書が入った曼荼羅本尊にしても、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の板本尊にしても、享保5年(1720年)の大石寺26世日寛書写の曼荼羅本尊をコピーした本尊にしても、このいずれもが教学的位置づけは、大石寺「戒壇の大本尊」なる板本尊の分身散体である。


26世日寛曼荼羅1



(創価学会員が今、日々拝んでいる「日寛新本尊」(日蓮正宗が言うニセ本尊)


今は数が少なくなったが、創価学会員の中には、今も宗創和合時代に日蓮正宗寺院で下付された曼荼羅本尊を拝んでいる会員がいる。又、池田大作をはじめとする創価学会会長、理事長、副会長、参議といった最高幹部は、かつて大石寺法主から、願主の個人名が入った「常住本尊」、懐中に持参できる「守り本尊」が授与されていた。彼らは今でもこれらの本尊を受持して日々拝んでいるようなのだが、これらの本尊もまた、大石寺「戒壇の大本尊」なる板本尊の分身散体である。こうした創価学会の信仰活動の実態を見れば、今でも創価学会員は、大石寺「戒壇の大本尊」なる板本尊を「間接的に」受持していると言える。こういった信仰活動の実態からしても、201411月の会則変更での「弘安二年の御本尊は受持の対象とはしない」との宣言は、大石寺登山ができなくなり、「戒壇の大本尊」内拝が受けられなくなった創価学会の現状を、教学的にただ追認しただけの宣言である。創価学会が「戒壇の大本尊」を否定したわけではない。創価学会は、現在に至るも、公式には一度も大石寺の「戒壇の大本尊」は偽作だと断言したことはない。

 


 

 

66世日達曼荼羅2


67世日顕・昭和54年10月13日形木3
 

(宗創和合時代に日蓮正宗が創価学会員に下附していた曼荼羅本尊)

 

 

 

 

□本尊セールス、登山会セールスをしたいが故に「創価学会は戒壇の大本尊を否定した」と謀略宣伝する日蓮正宗謀略工作新聞「慧妙」

 

そもそも創価学会が、大石寺「戒壇の大本尊」の否定など、絶対にできるわけがない。そんなことをしたら、創価学会創立から199012月までの「宗創和合時代」に、大石寺に奉安殿、大講堂、大坊、六壺、総坊、大客殿、正本堂、350箇寺以上の日蓮正宗末寺寺院を供養・寄進した歴史をも全面否定することになる。それだけではない。宗創戦争勃発、創価学会破門以降、創価学会は大石寺の大客殿取り壊し、正本堂取り壊しを非難してきたが、これまでも自分たちで否定することになる。そもそも創価学会は、日蓮正宗と同じ穴の狢であり、同根、同罪である。そんな創価学会に、大石寺「戒壇の大本尊」の否定、「唯授一人血脈相承」の否定など、できるはずがない。そんなことをしたら、創価学会が自分で自分を否定することになり、まさに創価学会の自殺行為である。

そもそも日蓮正宗と創価学会の間に、根本的な相違はない。日蓮正宗・創価学会と他宗派の根本的な相違である五重相対をはじめ日蓮本仏義、戒壇の大本尊、唯授一人血脈相承をはじめ、開目抄、観心本尊抄等の日蓮遺文(御書)の解釈も、過激折伏、過激供養、独善的体質も日蓮正宗、創価学会は全く同じ。創価学会がせいぜいできる日蓮正宗批判は、大石寺67世日顕の個人攻撃。聖教新聞セールス、創価学会復帰セールス、日寛新本尊セールスである。しかし2002131日の和解で、阿部日顕への個人攻撃もできなくなったので、大石寺66世細井日達から阿部日顕への血脈を否定する作戦に切り替えたようなのだが、これはかつて創価学会自身が批判してきた正信会の二番煎じである。

では「創価学会は『戒壇の大本尊』を否定した」などという話しは、一体、どこから出てきているのか。これは日蓮正宗、ないしは日蓮正宗謀略工作新聞「慧妙」が、本尊セールス、大石寺登山会セールスをやりたいが為の、謀略ガセネタ宣伝である。日蓮正宗は、創価学会の201411月の会則変更で「弘安二年の御本尊は受持の対象とはしない」と宣言以降、大々的な教学的批判を展開しているが、日蓮正宗謀略工作新聞「慧妙」や法華講員たちは、はるか前から「創価学会は戒壇の大本尊を否定した」などという謀略宣伝を繰り広げている。なぜこんな宣伝を繰り広げているのか、といえば、それは本尊セールス、大石寺登山会セールスを繰り広げて、創価学会員を切り崩して日蓮正宗信徒にしてしまいたいからである。

ところが、こんな謀略宣伝を繰り返しても、今まで創価学会が公式見解として、大石寺の「戒壇の大本尊」が偽作だとか、「戒壇の大本尊」を否定する見解を発表したことは一度もない。この点を突かれると、法華講員たちは、「創価学会員と問答をしたら、創価学会員が『戒壇の大本尊』を否定した」などと言い訳をする。しかし法華講員vs創価学会員の問答なるものをいくつも見聞したが、創価学会員が「戒壇の大本尊」を否定する見解を述べている場面を一度も見たことがない。したがって、「創価学会員と問答をしたら、創価学会員が『戒壇の大本尊』を否定した」などという日蓮正宗謀略工作新聞「慧妙」や法華講員の謀略宣伝は、捏造である可能性が高い。

日蓮正宗と同じ穴の狢・同根・同罪の創価学会に的確な日蓮正宗批判など不可能。同じく創価学会と同じ穴の狢・同根・同罪の日蓮正宗に的確な創価学会批判は不可能。所詮、日蓮正宗vs創価学会論争は実質的に日蓮正宗本尊セールスvs創価学会復帰セールスに過ぎないのである。

 

1972.10.12-6正本堂完成奉告大法要1


1972.10.12-7正本堂完成奉告大法要2
 

(197210月の正本堂落慶法要を報ずる聖教新聞)

 

戒壇の大本尊偽作説1


戒壇の大本尊偽作説2


戒壇の大本尊偽作説3


戒壇の大本尊偽作説4
 

(日蓮正宗謀略工作新聞「慧妙」が行っている、創価学会があたかも大石寺の「戒壇の大本尊」偽作説を唱えているかのように錯覚させる謀略記事)