■日蓮正宗と創価学会は2002131日に和解した一方でなぜ教義論争を続行しているのか3

 

□日蓮正宗寺院住職の信徒直接支配欲を刺激した日蓮正宗・創価学会の第1次・第2次紛争

 

創価学会「昭和五十二年路線」の教義問題は、197953日に和解となり、これに不満を持つ正信覚醒運動の活動家僧侶(後の正信会)が、日蓮正宗管長(大石寺法主)、日蓮正宗宗務院と対立。19831月までに、大石寺67世日顕法主の血脈相承を否定した正信会僧侶は全員が擯斥処分となり、宗外に追放された。これにより日蓮正宗と創価学会は再び和合路線を歩むことになる。この時、日蓮正宗・創価学会の再和合路線に、正信会のみならず、大石寺67世日顕法主に信伏随従した日蓮正宗寺院直属信徒(檀徒)や法華講員の中に反発する者が続出。最終的に宗創再和合路線に反発する法華講員・檀徒は、正信会寺院へと移っていく。

日蓮正宗寺院直属の信徒(檀徒)として残った人たちを、日蓮正宗は創価学会へ戻すということはせず、徐々に檀徒に法華講支部を結成させて法華講連合会に加入せしめていった。

法華講連合会とは、昭和三十年代のころ、それまで各日蓮正宗寺院に所属していた法華講支部を、「横の連携」で結成させた連合体組織の信徒団体。信徒団体などというと聞こえはいいが、日蓮正宗管長(大石寺法主)、日蓮正宗宗務院の完全な傀儡団体と言ったほうが正確で、日蓮正宗が信徒を直接支配する道具として使っている団体とも言える。日蓮正宗寺院直属の檀徒に、法華講支部を結成させて法華講連合会に加入させるというのは、日蓮正宗による信徒直接支配を恒久化させようというものである。

日蓮正宗では、「法華講連合会は自発的、自然発生的に結成された」などと宣伝しているが、これはウソ。当時、「折伏大進撃」で信者数を急激に膨張させていた創価学会の教線拡大に危機感を持った日蓮正宗管長(大石寺法主)、宗務院のリードにより結成されたものである。

又、「法華講とは日蓮、日興の時代から先祖代々、日蓮正宗信徒だった人の団体」と思っている人が数多くいるらしいのだが、これも間違いである。確かに法華講員の中に、先祖代々、大石寺門流だった檀家----ただし日蓮、日興の代からではない。代々、大石寺総代を務めている井出家は、記録によれば大石寺9世日有の代からである----がいることは事実だが、そういう人が主流ではない。1950年代のころから創価学会を退会して法華講に入る信徒が出ており、法華講のほうでも、そうした信徒を受け容れていた。それが第1次宗創紛争のころから、創価学会を脱会して日蓮正宗寺院直属になる信徒(檀徒)が続出し、法華講は創価学会を脱会した日蓮正宗信徒の受け皿となっていたものである。「法華講は先祖代々の日蓮正宗信徒」とのイメージ造りのため、法華講支部や法華講連合会幹部に、江戸時代、明治、大正、昭和初期から日蓮正宗信徒だった家柄の信徒を重用して、法華講の看板として利用しているだけのことである。

かくして日蓮正宗と創価学会は、199012月の池田大作総講頭罷免事件を発端として全面戦争(宗創戦争)に突入。創価学会から大量の会員が脱会して日蓮正宗寺院に移り、法華講員となる。199012月以前は、法華講支部が結成されていた日蓮正宗末寺寺院は、全国、海外の全寺院の三分の一にも満たなかったのだったが、今や大石寺、妙蓮寺、讃岐本門寺の一部の塔中坊を除き、全寺院に法華講支部が結成され、それら全てが日蓮正宗の傀儡団体・法華講連合会に加入している。

 

法華講支部結成許可書2
 

(日蓮正宗管長・大石寺法主名で発布された法華講支部結成許可書)

 

1992法華講支部組織許可2
 

(日蓮正宗管長・大石寺法主名で発布された法華講支部結成許可を報じる「大日蓮」)

 

法華講支部の連合会加入(大白法)
 

(新結成の法華講支部の法華講連合会加入を報じる日蓮正宗法華講連合会機関紙「大白法」)

 

 

 

 

 

□大石寺法主にとって間接支配のみの創価学会員より直接支配できる法華講員が好都合である

 

かくして1974-1979年の「第1次宗創紛争」、199012月以降の「第2次宗創紛争」で、創価学会を主敵にすることにより、日蓮正宗寺院住職、僧侶たちの信徒直接支配欲が刺激され、信徒直接支配欲のうま味の虜になってしまったのである。人間は欲のスイッチがオンになると、どんどん増長していくものである。大石寺法主(日蓮正宗管長)からしても、大石寺登山信徒を制限したり、ろくに末寺寺院にも参詣せず、供養金もさして上がらず、間接支配しかできない創価学会員よりも、直接支配がてきて、大石寺登山参詣、末寺寺院参詣も熱心で、供養金も持ってくる法華講員のほうが、都合がいいはずだ。だから、大石寺法主も「法華講員増加」の号令を仕掛ける。

19907月の三万総会の号令が、47000人の結集が成功すると、今度は1994(平成6)6万総会、1998年の新客殿落慶では10万人総登山、2002年の奉安堂落慶では30万総登山、2009年の日蓮立正安国論750年では、地涌倍増の50万総登山、2015年には法華講員50%増加、2021年の日蓮生誕八百年の年には法華講員80万人などと、次々と号令をかけている。

日蓮正宗が、法華講員増加のためのターゲットにしているのは、当然のことながら、かって日蓮正宗から破門された創価学会員、顕正会員、正信会寺院信徒(かつての檀徒)である。

これら創価学会員、顕正会員、正信会寺院信徒は、大石寺法主書写の曼荼羅本尊を拝み、法華経方便品・寿量品読誦の勤行を行い、教義的にも化儀も信仰内容もほとんど同じ。これらの人たちが日蓮正宗に帰入すれば、わずかの信仰的手直しをするだけで、即戦力の信徒として活用できるというわけだ。創価学会員の総数を、公明党総得票数と同数と仮定すると、750万人創価学会員の7%が脱会して法華講員になるだけで525000人になる。法華講員の現有講員を50万人とすると、80万法華講員など、わけなく達成できてしまうという算段のようである。仮に池田大作のXデーが来て、創価学会が分裂状態になれば、100万単位の法華講員が増えると目論んでいるのではあるまいか。これは顕正会の場合も同じで、高齢の浅井昭衛のXデーが来れば、顕正会の衰退ないしは分裂を目論んで、法華講員増加のネタにしようとしていると思われる。

これに対して創価学会の場合は、1974-1979年の「第1次宗創紛争」、199012月以降の「第2次宗創紛争」で、創価学会を脱会して法華講員になった信徒をターゲットにして、必死になって「創価学会復帰セールス」を展開している。1990年代のころは、創価学会を脱会して法華講に入る信徒のほうが多かったが、2000年の東京地方裁判所のシアトル事件判決で風向きが変わった。この判決で大石寺67世日顕敗訴の衝撃により、逆に日蓮正宗を離檀して創価学会に入る信徒の数が多くなってくる。この流れは2002年の宗創和解でも止まらず、2000年代は、法華講員数が頭打ちになったこともあった。創価学会員を信徒直接支配のターゲットにしている日蓮正宗と、これに防戦しようとする創価学会。日蓮正宗と創価学会の間で、熾烈な信徒争奪戦を繰り広げているわけだが、2000年代のころから、日蓮正宗を離檀・脱退しても創価学会、顕正会、正信会に行かない信徒、創価学会を脱会しても日蓮正宗、顕正会、正信会に行かない信者も増えてきている。

 

 

日蓮正宗教師・信徒数・増減一覧(1995~2016)
 

(日蓮正宗教師・信徒数増減一覧表・文部科学省「宗教年鑑」の統計を元に仏教宗学研究会で算出)