■検証50・日頂の書とされる「本尊抄得意抄添書」は後世の偽作文書

 

□歴史上はじめて「二箇相承」の全文を引用した人物は本是院日叶(左京阿闍梨日教)である

 

二箇相承書の全文を載せた最古の文献は、1480(文明12)  本是院日叶(左京阿闍梨日教)が「百五十箇条」で「二箇相承」の全文を引用しているものが最初と言われている。「百五十箇条」で引用されている「二箇相承」の全文は以下の文である。

「身延相承書 日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付属す、本門弘通の大導師為るべきなり、国主此の法を立てられば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ・事の戒法と謂ふは是なり、中ん就く我門弟等此状を守るべきなり

    弘安五年壬午九月十三日、血脈の次第・日蓮・日興、甲斐国波木井山中に於て之を写す」

「池上相承 釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当為るべし、背く在家出家共の輩は非法の衆為るべきなり

    弘安五年壬午十月十三日、日蓮御判、武州池上」

(日蓮正宗大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』2p183184)

 

2-182.183二箇相承初出1百六箇抄文本因妙教主某
 

さらにつづいて長享2年(1488年)6月に大石寺僧侶・左京阿闍梨日教の著書「類聚翰集私」、延徳元年(1489年)11月の左京阿闍梨日教の著書「六人立義破立抄私記」である。本是院日叶(左京阿闍梨日教)が「二箇相承」の全文を引用する以前においては、「二箇相承」の全文は、いずれの文献にも登場して来ないという一般的な通説である。

1960(昭和35)4月号「大白蓮華」に掲載されている大橋慈譲氏の論考「富士宗学要集の解説」によれば、日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨は

「二箇相承を引用したのは、左京(阿闍梨日教)がはじめである。妙蓮寺日眼があるが、これは弘安五年月日云々あるのみである。(二箇相承の)文章を書いてあるのは、左京日教がはじめである」と語っていたという。(1960(昭和35)4月号「大白蓮華」p80)したがって、堀日亨も「二箇相承」の全文を載せた最古の文献は、左京阿闍梨日教の文献であるという見解を認めている。

それに対して、日蓮正宗はそれこそ血眼になって古文書を探し、最近、次の二つの文献を示して「これが『二箇相承』が古来から存在していた証拠だ」などと言ってきている。

ひとつが、1308(徳治3)928日に六老僧の一人である日頂が書いたとされる「本尊抄得意抄添書」である。その中に、次の記述がある。

「興上、一期弘法の附嘱をうけ日蓮日興と次第日興は無辺行の再来として末法本門の教主日蓮が本意之法門直受たり、熟脱を捨て下種を取るべき時節なり」(日蓮宗宗学全書1)

 

 

 

 

 

□六老僧第五位・日頂の書とされる「本尊抄得意抄添書」は後世の偽作文書である

 

つまり日蓮正宗に言わせると、この文中の「興上、一期弘法の附嘱をうけ日蓮日興と次第」とあるのが、日興・日頂在世の時代に「二箇相承」が存在していた証拠だと言うのである。

しかしこの日蓮正宗の言い分は全くの誤りであり、欺瞞である。

日蓮真筆とされる多くの遺文(御書)では、教主釈尊となっており、教主日蓮と書いたものはない。

この「教主日蓮」という言葉には、当然のことながら「日蓮本仏義」を含ませたものと解釈されるが、日蓮正宗大石寺門流はおろか、富士門流八本山を見渡しても、大石寺9世日有以前において、「日蓮本仏義」なるものは存在していない。そもそも「日蓮本仏義」とは、大石寺9世日有が偽作したものであり、日興・日頂在世の時代には全く存在していなかった教義である。

さらに「日興は無辺行の再来」「末法本門の教主日蓮」「熟脱を捨て下種を取るべき」など、文節が大石寺9世日有が偽作した「百六箇抄」の本文のものに酷似している。「日興・無辺行再誕説」の最初は、大石寺9世日有が偽作した「百六箇抄」が最初であり、それ以前には存在しない。

「日順阿闍梨血脈」の中に「殆ど無辺行の応現か」との文が見られるが、ここでは「応現か」となっており、日興を無辺行菩薩の再誕であるとは断定していない。

又、三位日順の書については大石寺59世堀日亨が「堀上人に富士宗門史を聞く」の中で疑義を唱えており、よって「日順阿闍梨血脈」の文をそのまま証拠とすることはできない。したがって「本尊抄得意抄添書」は、六老僧の一人・日頂の真筆ではなく、日興・日頂在世の古来から「二箇相承」の存在を謀作しようとする者による偽作文書である。

 

1-89三位日順著書堀日亨重大な疑問1
 

(三位日順の書について疑義を唱える大石寺59世堀日亨「堀上人に富士宗門史を聞く」)

 

 

□大石寺59世堀日亨は日頂関連文献の中に「本尊抄得意抄添書」を全く引用していない

 

「本尊抄得意抄添書」を偽書とする根拠として、もうひとつ大きな理由がある。

それは大石寺59世堀日亨が自らの著書「富士日興上人詳伝」の中で、「日頂、心身ともに伏す」と題する文の中で、参考史料、正史料のいずれにも「本尊抄得意抄添書」を引用していない。

堀日亨は「富士日興上人詳伝」の中で、「二箇相承」についても、延々と解説を加えている箇所があるが、その箇所でも参考史料、正史料のいずれにも「本尊抄得意抄添書」を引用していない。

堀日亨が「本尊抄得意抄添書」を「二箇相承」を証明する重要文献として考えていたならば、「富士日興上人詳伝」の中の参考史料、正史料のいずれかに「本尊抄得意抄添書」を引用しているはずである。ところがいずれにも「本尊抄得意抄添書」を引用していないのは、堀日亨がこの文献を正史料、参考史料として見なしていない証拠に他ならない。

こういったことを考え合わせれば、「本尊抄得意抄添書」が後世の偽書であることは明白であろう。

 

二箇相承3
 

(1970年刊『仏教哲学大辞典』に載っている『二箇相承』