■日蓮正宗・創価学会は「宗創戦争」再開を避けるため裏で宗創和解“密約”を結んでいる4

 

□日蓮正宗と創価学会の間の問題だった創価学会脱会・法華講脱会した信徒の処遇問題

 

日蓮正宗と創価学会が「密約」を結んでいる、と言うと、「えっ」と思う人が多くいるようだが、史実は冷静に見なくてはならない。

日蓮正宗と創価学会が機関紙誌等で公然と発表している約束、取り決めを「協約」とするなら、両者が公式発表していない、内密に結んだ約束、取り決めは「密約」ということになる。日蓮正宗と創価学会は、いわゆる両者が和合路線だった「宗創和合時代」から、協約や密約を結んでいた。

両者が公然と結んだ「協約」の中で、有名なものが1951(昭和26)年の創価学会・宗教法人設立時における三条件、いわゆる

1 折伏した人は日蓮正宗の信徒として各寺院に所属させること

2 日蓮正宗の教義を守ること

3 日蓮正宗の三宝(仏宝・法宝・僧宝)を守ること

である。これは公然となっている「協約」で、秘密でも何でもない。ではなぜ日蓮正宗と創価学会が「密約」を結ばなくてはならなくなったのか。それは、1951(昭和26)年に創価学会が正式に信徒団体として日蓮正宗から公認されたこと。さらに日蓮正宗では、全国末寺法華講支部の連合体である日蓮正宗法華講連合会を1962(昭和37)年に結成させた。---大石寺66世細井日達法主(日蓮正宗管長)が正式に許可証を発布したのは翌1963(昭和38)5----これにより、日蓮正宗の信徒団体が創価学会と法華講の二本立てになった。

これにより、創価学会から法華講へ移る信徒、法華講から創価学会に移る信徒が続出。中には創価学会を脱会して法華講に入らず、寺院直属の信徒になる人も出た。あるいは1960(昭和35)5月、「池田大作の創価学会会長就任の経緯が納得できない」と言って、集団脱会し、「顕徳会」というグループを作って、創価学会や法華講に組みしない日蓮正宗の信徒団体として公認を目指そうとする動きが出たこともあった。この顕徳会というグループは、日蓮正宗から信徒団体として公認されず、その後、自然消滅している。

1972(昭和47)10月、「蓮悟空」なるペンネームで「変質した創価学会」を出版した松本勝弥氏(当時・創価学会外郭団体・民音職員)が、正本堂御供養金返還訴訟を起こし、「大石寺の戒壇の大本尊は偽物で、保田妙本寺の万年救護の大本尊が日蓮の本懐」という教義を展開。ここに1970(昭和45)年の言論出版妨害事件で創価学会を脱会したグループが続々と結集。当時、日蓮正宗寺院だった保田妙本寺を日蓮正宗から独立させ、反日蓮正宗・反創価学会の拠点にしようとした事件があった。これは当時の保田妙本寺が、創価学会の供養で御影堂、客殿、宝蔵等を増改築・修復し、日蓮正宗からの離脱を撤回。創価学会脱会信徒団体「創価学会対策連盟」は解散。松本勝弥氏は創価学会から除名、日蓮正宗からも信徒除名処分された他、松本勝弥氏をはじめとする反創価学会グループを保田妙本寺から締め出して決着している。-----その後、保田妙本寺は1995(平成7)5月に日蓮正宗を離脱している-----

創価学会を脱会した信徒は、日蓮正宗寺院に付く付かないに拘わらず、「反創価学会」信徒になる。創価学会脱会者が集団化したグループを、創価学会は日蓮正宗から排除していったが、個人として日蓮正宗寺院に付いた信徒、法華講に入った信徒は排除できない。創価学会を脱会した信徒、法華講を脱会した信徒の処遇は、日蓮正宗と創価学会の間に突き刺さった「トゲ」のような問題になっていった。

 

1963(s38)5法華講連合会結成許可書
 

(日蓮正宗法華講連合会許可証)

 

保田妙本寺三門1(日蓮正宗時代)
 

(日蓮正宗時代の保田妙本寺)

 

 

 

 

19738-19785月の間に結ばれた日蓮正宗・創価学会の「初めの協定」なる「密約」

 

1973(昭和48)830日、大石寺大講堂で行われた第22回教師講習会開講式で、大石寺66世細井日達法主は、日蓮正宗全国寺院住職を前に、こんな指南をしている。

 

「信者に対して驕慢であってはいけない。また一寺の住職であるといっても、寺のことや宗門の学問のことは充分にわきまえているけれども、社会の生活の面においては、まことに疎いのである。だからたまたま信者が、たとえば学会の信者でも法華講の信者でも、その幹部の指導が気に入らなくてお寺へきて、いろいろ生活指導を求めてくる人があるように聞いておりますが、お寺としては、世間的生活指導はむずかしいのであって、できることではない。世間の生活の苦しみを知らないからして、それはできないはずである。それを口先だけでもって指導しようという根性は、今後やめてもらいたい。もしそういうことができたならば、どうか幹部の方へいってくれ、学会ならば学会の幹部へいってよく相談しなさい。また、法華講ならば法華講の幹部へいって、よく相談してもらいたいと、はっきり言ってもらいたい。そこをあやふやにして、ああだこうだと自分勝手なことを言って、しかもその人を、自分のものに手なづけておるということは、もっとも危険な考えと思うのであります。なるほど、地方において、学会に所属していない人が信仰を求めてくる人もあるでしょう。学会を紹介してもよろしい。法華講を紹介してもよろしい。また、自分が仏法の法門の指導をして、そういう人を自分でちゃんと救っていくというのは、これは立派なことである。そして法華講なり、自分の寺の信者なりを通していくことは、だれにもはばかることはない。大いにやっていただきたい。

ただ、今まで学会なり法華講なり、十分に指導しておるのを横取りして、つまらない人情にかられて自分の子分にしようという根性がもしあるならば、今日以後止めていただきたいと思うのでございます」(日達全集第二輯第6p193-194)

 

192-193信者に驕慢ではいけない・学会に行ってよく相談


194-195学会信者の横取りはいけない
 

この1973(昭和48)830日当時は、松本勝弥事件はつづいていたが、日蓮正宗と創価学会の第1次抗争は、まだ始まっていなかった。この文面を見る限りにおいては、日蓮正宗と創価学会の間に、脱会した信徒の処遇についての「密約」の存在は、窺い知れない。

ところが日蓮正宗・創価学会第1次抗争の真っ直中だった1978(昭和53)531日、大石寺大講堂での第20回寺族同心会大会で、大石寺66世細井日達法主は、こんな指南をしている。

 

「ですからこの際、我々の方から、学会の悪口を言ってケンカをすることはいけない。また学会の方も、僧侶の悪口だとか、お寺に行くなというようなことも言わないで、ともに仲良く昔のようにやっていく。学会は、初め学会が宗教法人になるときに決めた三ヶ条の約束に従ってやってもらいたいということになって、だいたい落ち着いております。しかし、まだ学会の会員のなかで学会に不満があり、どうしても学会と一緒にやっていかれない人は、お寺へ所属する。お寺の檀徒となって所属していく。その人に対して、学会からは、無理に取り返すような圧力を加えない。またお寺の方も、無理に働きかけて、学会の会員としてやっている者を引っ張り出すようなことは、してはいけない。それでも、お寺の檀徒にしてくれといって、ある程度の人は来て、二十軒、三十軒と固まっている寺院もございます。お寺に就いた人は、お寺としての責任上、檀徒としてこれを守り、また信心をよくし行学を勧めていくようにしていただきたいと思います。

ただし住職が、このような檀徒を増やさんがために、私の言葉だとか、いろいろな言葉を利用して、書き物にして、一般学会員に配ったり、あるいは自分の檀徒になった人のいろいろの意見を出版して、より以上に檀徒を集めるというようなことをしてはいけないのであります。とかくそういうふうに走りがちであるが、それはひとつ慎んでもらいたいと思います。初めの協定のとおり、互いに悪口を言わない。そして互いに手を握って広宣流布へ向かって進んでいく。これがもっとも大事なことでございます。目下、その方針において進んでいただきたいと思います。これはぜひとも各寺院において守っていただきたい。しかしそうとはいっても、学会員でまだまだ不平の人があって、どうしてもお寺へ就きたいといって来る人は暖かく迎えて檀徒としていっていただきたいと思います」

(日達全集第二輯第7p171-172)

 

171学会の悪口・ケンカはいけない


172-173初めの協定どおりお互いに悪口を言わない
 

この中に「初めの協定のとおり」とあるように、日蓮正宗と創価学会の間に「協定」が結ばれていることがわかる。その「協定」の中身は、「互いに悪口を言わない」「寺院側から創価学会員に脱会して檀徒になるよう働きかけることはしない」「創価学会側は寺院檀徒に創価学会に戻るように働きかけることはしない」という内容であることがわかる。

これは、1973(昭和48)830日から1978(昭和53)531日の間に、日蓮正宗と創価学会の間で結ばれたようなのだが、日蓮正宗宗務院機関誌「大日蓮」、日蓮正宗法華講連合会機関紙「大白法」、創価学会機関紙「聖教新聞」のどこにも、そんな協定が結ばれたという公式発表は、なされていない。つまり大石寺66世細井日達法主が「初めの協定」と言っている「協定」とは、日蓮正宗と創価学会の間の「密約」であることがわかるのである。

 

日達全集2輯4巻
 

(大石寺66世細井日達法主)