□北条浩四代会長に大居士号を授与し創価学会本部葬の大導師を勤めた大石寺67世日顕

 

1981(昭和56)724日、午後二時から創価学会本部葬が東京巣鴨・東京戸田記念講堂で行われ、大石寺67世阿部日顕法主(日蓮正宗管長)が大導師をし、藤本日潤総監をはじめ約二百人余りの日蓮正宗寺院住職が列席した。下の写真は、東京戸田記念講堂での北条浩四代会長・創価学会本部葬を報道する1981(昭和56)725日付け聖教新聞である。

 

1981.7.25創価学会本部葬1


1981.7.25創価学会本部葬2
 

(1981(昭和56)725日付け聖教新聞)

この聖教新聞の報道によれば、この日の葬儀に列席したのは、日蓮正宗からは、日蓮正宗管長・阿部日顕大石寺67世法主、藤本日潤総監、椎名日澄重役、太田慈晁宗会議長、早瀬日慈、鎌倉日桜、野村日修、吉田日勇各能化、早瀬義孔庶務部長、前川慈筆(日秀)海外部長、大村寿顕(日統)教学部長、秋元広学(日高)渉外部長、光久諦顕(日康)大石寺主任理事といった宗務院・内事部役員の他に約二百人の日蓮正宗寺院住職。創価学会からは、創価学会のドン・池田大作、秋谷栄之助会長、葬儀委員長の森田一哉理事長、喪主の北条弘子未亡人(創価学会全国副婦人部長)、遺族、親族、副会長全員、参事、総務、各部部長、全国の県長、戸田家、牧口家の遺族、戸田会、牧口会、杉並会など創価学会草創期からの会員、竹入義勝公明党委員長、矢野絢也公明党書記長をはじめとする公明党議員、ジョージ・ウィリアムスNSA(今のSGI-USA)理事長をはじめとする海外SGIのメンバー、さらに法華講の代表となっている。

外部からの弔問客は、中曽根康弘・首相臨時代理、田中角栄元首相、福田赳夫元首相、二階堂進自民党総務会長、安倍晋太郎自民党政調会長、マンスフィールド駐日・アメリカ大使、ポリャンスキー駐日ソ連大使といった、蒼々たる名前が並んでいる。

この中で、もっとも注目されるのは、阿部日顕法主が北条浩四代会長に「宣正院浩徳日基大居士」の戒名を授与したことだ。日号・大居士号の戒名は、日蓮正宗の信徒の戒名としては、最高位のものであり、牧口常三郎の戒名・「冷然院感得日常大居士」、戸田城聖の戒名・「大宣院法護日城大居士」と同格。しかし、牧口常三郎、戸田城聖は、死去直後は日号は付いていたが、大居士ではなく、居士号だった。二人の大居士号は、後から追贈されたものである。

戸田城聖二代会長亡き後、池田大作が三代会長に就任するまでの約2年間、創価学会理事長で、実質的な「会長代行」として創価学会「折伏大進撃」の指揮を取った小泉隆参議会議長が1988(昭和63)11月、死去したが、小泉隆氏の戒名は、「盡法院隆徳日証居士」で、居士号である。

197341日に死去した法華講連合会初代委員長・平沢益吉氏の戒名は「信盛院道医日益居士」。199377日に死去した法華講連合会三代委員長・阿部唯七郎氏の戒名は「法護院唯真日実大居士」。2012427日に死去した法華講連合会四代委員長・柳沢喜惣次氏の戒名は「正護院惣徳日進大居士」。20161020日に死去した法華講連合会五代委員長・永井藤蔵氏の戒名は「慈行院法徳日藤居士」だった。

近年、死去直後に大居士号を授与されたのは、阿部唯七郎氏、柳沢喜惣次氏、北条浩氏の三人のみ。柳沢喜惣次氏は、生前、総講頭だったが、阿部唯七郎氏、北条浩氏は大講頭だった。

 

2012.4.27柳沢喜惣次死去1(正護院惣徳日進大居士)
 

(大居士号を授与された柳沢喜惣次氏)

 

 

 

 

□北条報告書・「入信以前の宗教・日蓮正宗」“狂った邪見の信心”の北条浩四代会長になぜ阿部日顕法主は大居士号を授与したのか

 

日蓮正宗信徒で「居士」号の戒名を授与された信徒は、数多くおり、必ずしも大講頭職に居た信徒とは限らない。大講頭経験者で、大居士号を授与された信徒が二人だけ、ということは、大講頭職を経験しても、戒名は「居士」号が一般的と思われる。あの永井藤蔵氏も、戒名は居士号だった。

ではなぜ北条浩氏に、「大居士」号の戒名が授与されたのか。北条浩氏は創価学会四代会長だったが、在任期間は、池田大作会長が退任した1979(昭和54)4月から死去した1981(昭和56)7月までの、約23ヶ月。小泉隆理事長が、「会長代行」として指揮を取った期間と、そんなに大差がない。むしろ北条浩氏は、池田大作会長の下で、副理事長、副会長、理事長を務めた期間が長かった。つまり創価学会では、池田大作に次ぐナンバー2だった。

その長く勤めた「ナンバー2」だったころ、さまざまな北条浩氏の発言が、日蓮正宗の中で物議を醸したことはあまりにも有名である。

1974(昭和49)5月、6月の「北条報告書」もさることながら、1974(昭和29)2月の論文「惰眠むさぼること28年」で、「入信前の宗教、日蓮正宗。従って私の入信動機は、創価学会への入信に踏み切った動機であり、私の入信体験は、日蓮正宗と創価学会の違いを物語るものである」

との発言は、大石寺66世細井日達法主の逆鱗に触れた。

 

1974.5.10-1


1974.6.18-1
 

(1974(昭和49)5月、6月の「北条報告書」)

 

1974.2.25-2惰眠をむさぼること28年

 

(1974(昭和29)2月の論文「惰眠むさぼること28年」で、「入信前の宗教、日蓮正宗」「私の入信動機は、創価学会への入信に踏み切った動機」と言っている)

大石寺66世細井日達法主は、1978(昭和53)29日の日蓮正宗「第1回時事懇談会」で、こう言っている。

「学会はおかしい、まるで別な教義を立てる様なことをしておる。例えば、池田会長は本門弘通の大導師だなどと盛んに言っておる。或いは北条さんが、私が改宗する以前の宗旨が日蓮正宗であったと、まるで本宗が謗法の寺の如く言っておる。等々指摘しまして、これじゃ(宗創紛争が)治まりゃしない。若い連中が学会と手を切ると言っておる。私がおさえておるが、彌々手を切るならば、宗会も開いてはっきりしなければならんと思っておる、と言いました」

 

1978.2.9-24.25
 

(「時事懇談会記録」P24)

ここまで大石寺66世日達法主の怒りを買っていた発言をしていたのに、戒名に「大居士」号とは、異例中の異例ということになる。しかも、北条浩氏に「大居士」号を授与した大石寺67世阿部日顕法主は、宗創戦争勃発後の1992(平成4)828日の全国教師講習会の法主講義で

「あの四代会長の北条浩は、三座の観念において、日目上人までの観念しかしていなかったというようなことを聞いたことがあります。つまり、日道上人以下の御歴代に対しては御報恩を申し上げる必要はないとして、わざわざ省いておったというのです。このような狂った邪見の信心の在り方を、昔から創価学会では行っていた」

(日蓮正宗機関誌「大日蓮」平成49月号)

 

1992(h4)8.28-19北条浩・学会策謀・正信覚醒運動敬意
 

などと言っているが、ではなぜこんな「狂った邪見の信心」をしていた北条浩氏に、最高位の「大居士」号を授与したのか。

阿部日顕という人物が、いかにデタラメなことを言う人物か、いかに無定見な人物であるか、という証左ではなかろうか。

 

北条浩1


池田大作・北条浩1
 

(北条浩氏・1979426日付け聖教新聞)