■検証54・日興在世当時の大石寺では丑寅勤行は行われていなかった3

 

□深夜2時から4時の時刻に丑寅勤行を行うには機械時計を持っていないと絶対に無理である

 

大石寺二祖日興在世の時代から、大石寺で毎朝深夜2時から4時の時刻に丑寅勤行を行っていたとするならば、大石寺では日興在世の時代から定時法を採用していないと無理である。

又、同時に日時計や水時計、砂時計の類では絶対に深夜の正確な時刻を計ることは不可能なので、大石寺に機械時計がないと無理である。江戸時代においては、定時法の時計があったことはあった。しかしそんな時計を持っていたのは、将軍や大名、幕府の旗本など一部の特権階級のみだったはず。そんな時代に、大石寺が定時法の時計や機械時計を持っていたのか。ましてや鎌倉時代後期の日興在世の時代に、大石寺が定時法の時計や機械時計を持っていたのか。定時法を実際に採用などしていたのか。こういった調査を踏まえて、機械時計のことを調べようと赴いた所が、東京・谷中にある大名時計博物館である。大名時計というのは、一口に言って、昔の和時計のこと。江戸時代の機械時計のことを、和時計とか大名時計とか呼んでいた。江戸時代に機械時計を持っていたのは、大名ぐらいのものだったから、大名時計と言われるようになった、という説もある。その大名時計をいろいろと格蔵・陳列している博物館が、大名時計博物館。

大石寺がもし日興在世の時代から定時法を採用していたならば、日興在世の時代の大石寺に機械時計がなくてはならなくなる。そうしないと毎朝深夜2時から4時の時刻に丑寅勤行を行うことが出来ない。では、日本で最初に機械時計ができたのは、いつなのか。

その謎を解くカギは、まさに大名時計博物館にあった。

大名時計博物館とは、陶芸家、上口愚朗が生涯にわたり収集した江戸時代の貴重な文化遺産・大名時計を長く保存するために、昭和26年3月「財団法人上口和時計保存協会」を勝山藩の下屋敷跡に設立。上口愚朗が初代理事長になる。

昭和45年10月上口愚朗没後、二代目上口等が昭和49年4月「大名時計博物館」を開館。親子二代にわたり設立した博物館である。

 

大名時計博3
 

(東京・谷中の大名時計博物館)

 

 

 

日本への機械時計伝来は1551年にフランシスコ・ザビエルが欧州からもたらした機械時計

 

さて大名時計博物館に、大石寺「丑寅勤行」の謎とウソを暴くカギがあった。

大名時計博物館の展示・資料、および博物館が刊行する小冊子「大名時計」によれば、ヨーロッパから日本にはじめて機械時計が伝来したのは、日本にキリスト教を伝来させたフランシスコ・ザビエルがもたらした機械時計が最初である、という。

大名時計博物館館報NO4「大名時計」によれば、次のように書いてある。

「日本に、外国製機械時計が渡来したのは、天文20(1551)16世紀の中頃であり、フランシスコ・ザビエルがキリスト教の布教のため、大内義隆に機械時計を献上したのが、文献上では最初だといわれている。その後、信長、秀吉、家康に機械時計が献上されているが、いずれも現存しないので、重りを動力にした時計か、ゼンマイを動力にした時計なのか、知るよしもない。

慶長16(1611)、メキシコから徳川家康に献上された、ゼンマイ動力の置き時計が、現存する最古の機械時計で、静岡県の久能山東照宮に保存されている。

文献によると、徳川家康のお抱え御時計師であった津田助左衞門政之が、時計師の第一号だという。しかしながら、津田助左衞門政之より以前に、時計師がいたと思うが、記録が発見されていない。今では、江戸時代(1603)になってから、大名時計を製作したと言われているが、もしかすると江戸時代以前、室町末期に大名時計を製作していたかもしれないが、考えられるだけで、証拠立てるものは何一つ、発見されていない。久能山東照宮に保管されている、徳川家康所蔵の機械時計以後も、外国製の機械時計が日本に渡来している。外国製の機械時計が、日本に渡来して、それをモデルにして日本人時計師が、機械時計を製作したのが最初で、その後、日本独特の不定時法による大名時計を製作したのである、というのが、現在は定説になっている。」

 

1-2機械時計渡来


3-4大名時計製作技術


大名時計NO4
 

(大名時計博物館館報NO4「大名時計」)

フランシスコ・ザビエルが日本へ機械時計を伝来させたことが発端になり、江戸時代以降、日本で機械時計が生産されるようになったという。すなわち西洋式の機械時計を日本式の機械時計に改良したもので、これが即ち和時計であり、大名時計である。したがってフランシスコ・ザビエルが機械時計を日本に伝来させる以前、日本に機械時計は存在しておらず、よって深夜2時から4時の時刻に丑寅勤行を行うことも不可能である。したがって、よく大石寺が言う、日興の代から大石寺では毎日欠かさず丑寅勤行を行ってきた、というのは全くのウソ。大石寺の「丑寅勤行」は、1551年の機械時計伝来以降の江戸時代に始まったものであると断言する。

 

68日如・客殿・丑寅勤行1(代替法要)


68日如・客殿・丑寅勤行2(代替法要)
 

(日如代替法要写真集『法灯連綿』に掲載されている大石寺客殿・丑寅勤行)