■検証56・日興在世当時の大石寺では丑寅勤行は行われていなかった5

 

□大石寺12世日鎮「堂参御経次第」の朝勤行は丑寅勤行が大石寺で行われていた証明ではない

 

大石寺の「丑寅勤行」が、江戸時代以前の上古の時代に、本当に行われていたのかどうか、という論争になった時、日蓮正宗側が必ず出してくるのが、大石寺12世日鎮が大永3(1523)51日に執筆した「堂参御経次第」を出してくる。この「堂参御経次第」は原本を、日蓮正宗が2002年の立宗750年に刊行した写真集「宗旨建立と750年の法灯」に載せており、読み下し文を「歴代法主全書」2巻に載せている。「堂参御経次第」とはこんなことが書かれた文書である。

「大永三年癸未五月一日 夜

本堂へ 十如是寿量品一巻 題目百返

天御経へ十如是寿量品一巻 題目百返

御影堂へ十如是寿量品一巻 題目百返

又其後寿量品三巻 題目三百返

二日 朝

御影堂にて 十如是寿量品三巻 題目三百返

天御経へ参りて十如是寿量品一巻 題目百返 祈念申候

大堂へ参りて 十如是寿量品一巻 題目一百返 奉祈願候

御影堂へ参りて十如是寿量品一巻 題目百返 祈念申候

以上 十二巻千二百返

日鎮 花押」

 

1523.5.1堂参御経次第1(立宗750年写真集)


1523.5.1堂参御経次第2(立宗750年写真集)
 

(写真集「宗旨建立と750年の法灯」に載っている「堂参御経次第」)

1971529日の大石寺大講堂・寺族同心会大会で大石寺66世細井日達法主が、この「堂参御経次第」について指南をしている。細井日達法主は「これを見ると、今の五座の勤行の本の原形というものがわかります」「二日の朝も、同じく御堂においてお経をあげるのは三師の供養、天御経は天拝、それから大堂(本堂)でお経をあげたのは本尊供養、最後に再びお堂に参って広宣流布のお経である」(「日達全集」第2輯第とは言っているが、これを「丑寅の時刻の勤行」だとは一言も言っていない。また、「堂参御経次第」の中には、朝の勤行については、単に「二日の朝」としか書いておらず、どこにも深夜の丑寅の時刻に勤行したとは書いていない。もちろん一夜番の僧侶が居たなどとも、全く書いていない。単に朝の勤行をしたという記述だけなのである。

そもそも大石寺12世日鎮の時代には、日本に機械時計はまだ伝来しておらず、人々は日ノ出と共に起き、日没とともに就寝していた時代。したがって、大石寺12世日鎮の書「堂参御経次第」は、丑寅勤行とは全く無関係の文献であり、江戸時代以前の室町時代に大石寺で丑寅勤行が行われていた証明にはならないのである。

 

354-355客殿創建・日鎮お経次第


356-357五座勤行・武田兵火・大講堂工事古銭
 

(1971529日の大石寺大講堂・寺族同心会大会で大石寺66世細井日達法主指南・「日達全集」第2輯第5p355356)

 

 

 

 

□「丑寅之勤行」の大坊棟札は江戸時代の偽作であると大石寺66世細井日達法主が認めている

 

次に日蓮正宗の者が出してくるのが、日興の時代に造られたと称する「大坊棟札」である。これに

「本門戒壇之霊場日興日目等代々加修理丑寅之勤行無怠慢可待広宣流布、国主被立此法時者当国於天母原三堂並六万坊可為造営者也。自正応二年至三年成功 正応四年三月十二日。駿河国富士上野郷内大石原一宇草創以地名号大石寺 領主南条修理太夫平時光法号大行之寄附也」と書いてあることから、これが大石寺二祖日興・三祖日目の時代に大石寺で丑寅勤行が行われていた証拠だと言うのである。

ところが残念なことに、1970628日の大石寺富士学林研究科での「天生原・天生山・六万坊の名称と本宗の関係についての一考察」と題する指南の中で、大坊棟札が江戸時代の偽作であると認めているのである。この指南の中で、細井日達法主は以下の点から偽作だと言っている。

1 「日興」の字を間違えて書いている

2 後世への遺命に「日興日目」と書いてあるのはおかしい

3 「丑寅」とはっきり書いたのに「丑とら」と書いてあるのは、おかしい。徳川時代の特長である。

4 字が非常になだらかで、日興の筆跡とは違っている。徳川時代のお家流である。

5 大石寺開創の六ヶ月後に棟札を建てるのは、おかしい。

6 執権ですら修理権太夫なのに、:家来の南条時光の修理太夫の名称はおかしい。

7 南条時光がまだ33才なのに「大行」の法号がついているのは、おかしい。

8 鎌倉時代だったら寄進と言うのに、「寄附」となっているのは変である。

9 堀日亨が字体が徳川時代のお家流と言っている。石田茂作博士も同意見と言っている。

 

326-327六万坊後世のもの大石寺棟札


328-329大石寺棟札偽作説


330-331大石寺棟札偽作説
 

(1970628日の大石寺富士学林研究科「天生原・天生山・六万坊の名称と本宗の関係についての一考察」大石寺66世細井日達法主指南「日達全集」第2輯第5p327330)

大石寺理境坊妙観講講頭・大草一男氏は著書「摧破異流義考」の中で、細井日達法主の大坊棟札・江戸時代偽作説をほぼ全面的に支持する論文を発表している。

これにより日蓮正宗の者が、大石寺の「丑寅勤行」が江戸時代以前の上古の時代に行われていた根拠として「大坊棟札」を出してくるのは、見当違いな誤りであることは明らかである。「大坊棟札」は、江戸時代の偽作であるということは、江戸時代に大石寺で「丑寅勤行」が行われていた証明にはなるが、日興日目時代に丑寅勤行が大石寺で行われていたことには、ならないことは当然である。

 

18-19大坊棟札偽作


20-21大坊棟札偽作


摧破異流義考0
 

(大石寺理境坊妙観講講頭・大草一男氏著書「摧破異流義考」)