■一般社団法人仏教宗学研究会・日蓮正宗寺院・現地視察学習会27

 

□富士妙蓮寺本堂落慶法要の池田大作絶賛慶讃文を記念碑にした大石寺66世細井日達法主

 

さて、今回の現地視察学習会のポイントは、1974(昭和49)104日に除幕された池田大作絶賛慶讃文の記念碑である。富士妙蓮寺の本堂(御影堂)は、大正初年に廃堂になって以来、本堂がなかった。今も富士妙蓮寺の「勤行会」をはじめ、各種法要は客殿で行われている。

その本堂(御影堂)が、1974(昭和49)32日、法華講総講頭・創価学会会長・池田大作の発願、創価学会の寄進供養により落慶。その落慶慶讃法要に親修した大石寺66世細井日達法主が、慶讃文の中で、池田大作を激賞・絶賛した。云く

「この大行尊霊去りて六百四十二年、昭和四十九年今また大行尊霊に継ぐ大篤信の偉人あり、それ法華講総講頭池田大作なり。今や此の人により宗門は総本山を初め各本山及び末寺に至るまで廃れるを起こし新寺を建立し信徒は日々に増大し一躍大宗門の名により世界に周知せらるるに至る。之れ池田大作の信心の威徳功績のいたす所にして全く昭和の大行尊霊とも云いつべし。日達妙蓮寺本堂新築再建慶讃の式に当たり御宝前に総講頭池田大作の徳行を称え…」

 

188-189
 

(197432日富士山妙蓮寺本堂落慶入仏法要・慶讃文)

 

1974.3.3妙蓮寺本堂落慶法要
 

(富士山妙蓮寺本堂落慶入仏法要を報じる197433日付け聖教新聞)

大石寺66世細井日達法主がこれだけ慶讃文の中で、池田大作を激賞・絶賛したのに、池田大作は当日の落慶入仏法要を欠席。その4日後に池田大作が富士妙蓮寺に参詣している。そして白梅の記念植樹をしている。

 

1974.3.7池田大作・妙蓮寺参詣


1974.3.8妙蓮寺植樹


1974.2.18妙蓮寺1(聖教新聞)
 

(池田大作の富士妙蓮寺参詣を報じる197437日付け聖教新聞)

それから12年後の1986(昭和61)8月、大石寺での創価学会夏季講習会で、池田大作は富士山妙蓮寺本堂落慶入仏法要を回顧して、こんなスピーチをしている。

「…新築なった妙蓮寺本堂を参詣させていただいたのである。その折りに妙蓮寺の住職であった漆畑日広先生が大変に喜んでくださり、また、庭に白梅を記念植樹させていただいたことは、忘れられない」

「法要の折の日達上人の慶讃文は、記念碑としてそのまま妙蓮寺の境内に建立させていただくことになり、昭和四十九年の十月九日に除幕された。この記念碑の裏面には、

うぐいすも 桜も祝う 妙蓮寺

という、拙い句であるが、刻ませていただいた。この句の脇書には、『本山妙蓮寺第四十四代 漆畑尊能師に捧げる』とある」

(198685日付け聖教新聞)

 

1986.8.5妙蓮寺本堂落慶・池田大作絶賛慶讃文石碑
 さらに199052日付け聖教新聞には、199051日の大石寺大客殿での大行尊霊法要のあと、池田大作が富士妙蓮寺に参詣。197410月に大石寺66世細井日達法主が建立した、池田大作絶賛慶讃文をそのまま刻んだ記念碑が写真で掲載されている。

 

1990.5.1池田大作・妙蓮寺参詣
 

(199052日付け聖教新聞)

 

 

 

 

□富士妙蓮寺本堂脇雑木林の中に隠されていた大石寺66世日達建立の池田大作絶賛記念碑

 

さて、その「池田大作絶賛の記念碑」は、199012月以来の日蓮正宗・創価学会の第2次紛争・「宗創戦争」で、一体どうなったのか。1990年代に富士妙蓮寺に来た時は、こういう記念碑には全く気づかなかった。どこかに移転したのか。それとも、取り壊したのか。はたまた、富士妙蓮寺境内の中に残っているのか。これを富士妙蓮寺の境内の中で発見できるアテは、全くなかったのだが、とにかく境内の中を捜してみたのである。

かなり難しい作業であったのだが、ようやく現物を発見しました。何と本堂(御影堂)横の雑木林の樹木の中に、わざと隠すように仕組まれていました。記念碑のまわりに、わざと樹木を生い茂らせ、記念碑を隠すようにしたのではないだろうか。大石寺法主が建てた記念碑だから、取り壊すわけにいかない。だから、樹木で覆い隠して、信者の目に触れないようにしてしまえ、という意図がミエミエ。日蓮正宗のウソつき体質を象徴するような仕掛けです。

 

石碑11


石碑10


石碑4


 石碑1

石碑7

(本堂脇の雑木林の中にあった「池田大作絶賛記念碑」)

 

御影堂1
 

(今の富士妙蓮寺本堂)

それにしてもなぜ、日蓮正宗はこんなチンケな小細工をするのだろうか。1991年の「宗創戦争」勃発以降は、池田大作が発願、創価学会が寄進・供養した総一坊、総二坊の各大広間に祀られている板本尊、池田大作が発願、創価学会が寄進・供養した日蓮正宗寺院・宝浄寺本堂に祀られている板本尊の脇書にある「願主 法華講総講頭 池田大作」の文字を消している。まあ、1990年代に、日蓮正宗と創価学会は、あれだけ激烈なマジギレの大ケンカをしたわけだから、やはり境内の中に、池田大作を絶賛する記念碑があるというのは、まことに都合が悪いのだろう。

しかし、富士妙蓮寺の境内には、池田大作が発願、創価学会が日蓮正宗に寄進・供養した堂宇が他にもある。1974年に建立された蓮一坊、蓮二坊、蓮三坊、蓮四坊である。これは正本堂落慶法要六百万登山会を行うに当たって、大石寺境内の宿坊では登山者を収容できないため、創価学会が建立・寄進した宿坊である。そこで蓮一坊、蓮二坊、蓮三坊、蓮四坊にも行ってみたが、こちらは以前と何ら変わりがない。ちなみに、この富士妙蓮寺の蓮一坊、蓮二坊、蓮三坊、蓮四坊は、法華講の六万総会、三十万総登山、七万五千総会、五十万総登山といった、大きな登山会があったときは、今でも宿坊として使用されているという。

 

蓮一坊1
 

(蓮一坊)

 

蓮二坊1
 

(蓮二坊)

 

蓮三坊1
 

(蓮三坊)

 

蓮四坊3
 

(蓮四坊)

蓮一坊、蓮二坊、蓮三坊、蓮四坊に宿泊している法華講員たちは、これらが池田大作が発願、創価学会が日蓮正宗に寄進・供養した堂宇であることを知っているのだろうか。

そして蓮一坊、蓮二坊、蓮三坊、蓮四坊をよく見ていたら、蓮一坊の石灯籠の文字が削られて、消されていたのを発見した。これも何か都合が悪いから削り取ったのだろうか。こういうものを見ていると、日蓮正宗という宗教は、つくづく浅ましい宗教だと思う。

 

蓮一坊3
 

(石灯籠の文字が削り取られた蓮一坊の石灯籠)