■検証300・おいらん淵殺人事件の怨霊鎮魂の為に大石寺9世日有が創建した大石寺客殿1

 

□大石寺客殿の東向きの大導師席を仏界から九界を直接利益する姿と認めている大石寺

 

日興在世当時の大石寺には、本堂も御堂も客殿も存在しておらず、大石寺二祖日興の時代に、大石寺には「戒壇の大本尊」なる板本尊は存在していない。 したがって「御堂」もなければ、大石寺の僧侶や信者が一同に会して行事を行う伽藍(客殿)もなかった。そもそも大石寺「本堂」「客殿」とは、大石寺9世日有が京都・奈良の仏教寺院から輸入した伽藍である。大石寺9世日有以前の大石寺、大石寺門流の寺院には「本堂」「客殿」というものがなかったのである。

住職や僧侶の持仏堂はあったが、持仏堂というのは、持仏や先祖の位牌(いはい)を安置しておく堂、または室。仏間のことで、仏壇をいうこともある。つまり住職や僧侶個人の本尊を祀っている仏間のことである。日蓮正宗では、住職や僧侶個人授与の本尊、ないしは個人授与の本尊を祀っている仏間のことを「御内仏」と呼んでいるが、持仏堂とはまさにこの御内仏を祀る仏間ということである。ところが、大石寺は、大石寺9世日有以前は、法主・住職や僧侶の持仏堂(今の六壺)や法主・住職の自坊(大坊・塔中)や僧侶個人授与の本尊、ないしは個人授与の本尊を祀っている仏間はあったが、根本本尊を祀る本堂や、法要や行事を行う堂宇である客殿は存在していなかった。大石寺に客殿を創建した人物が大石寺9世日有である。大石寺客殿を創建して、ここで年回忌法要、葬儀、法事といったさまざまな法要、行事を行った最初の法主が大石寺9世日有である。

大石寺の境内のほぼ中央に位置するのが「客殿」であり、ここは年忌法要などの行事が行われる堂宇で、1465年、大石寺9世日有の代にはじめて建立された堂宇である。

大石寺客殿は、法主が着座する大導師席が内陣前方の左側に東向きで配置されている。これは大石寺三祖日目の席とされ、衆生を下種の仏法僧の三宝に取り次いでいるという意味があるという。大石寺66世細井日達法主は、東向きの大導師席について、こんなことを言っている。

「法事の時は、必ず定まった座にて御本尊に向かわないで御経を読んで、追善供養をするのであります。それは仏界(御本尊---能化)から九界(精霊----所化)に利益を施すものであります。これも十界互具を表したのであります。これらの儀式は、現在の本山(大石寺)の儀式を拝すればわかります。御堂においては、法主は御本尊様に向かって読経唱題しますが、客殿は檀信徒の法要回向等の法事を行う場合でありますから、法主は横向きで直接九界に向かって読経唱題するのであります。特に葬儀の式を見れば、導師は御本尊を背にして、霊棺に向かって読経回向します。これは即ち、仏界より九界を利益する姿の明白な形であります」

(日有化儀抄略解p43)

 

 42-43御堂本尊向・客殿横向九界利益(化儀抄・日達講述)

 

大石寺66世細井日達法主によれば、東向きになっている大石寺客殿の大導師席は、いかにも仏界から九界を利益する姿であり、いかにも歴代の大石寺法主のみに秘伝されてきた特別な化儀であるかのような言い方だが、これが全くのウソ、細井日達の単なるこじつけ教学に過ぎない。

 

 客殿3

(今の大石寺客殿)

 

大客殿1(連合会写真集)
 

(大石寺66世細井日達法主の代の当時の大石寺大客殿・写真集「法華講連合会第27回総会」より)

 

 

 

□「おいらん淵殺人事件」で暗殺された「戒壇の大本尊」偽作の仏師・職人の怨霊鎮魂を目的として建立された大石寺客殿

 

仏教寺院の向きだが、基本的に南面して建てられており、これは大石寺の堂宇、奉安堂、奉安殿、御影堂、客殿、塔中坊等も同じで、全て南面して建てられている。これは中国の慣習である「君子南面」によるものであるとする説が有力である。これに対して、一部の仏教寺院では、地形等の問題でどうしても南面して堂宇を建てられない場合、東面して建てられている寺院・堂宇がある。例えば京都・天龍寺は寺院・堂宇は東面して建てられている。これは天龍寺が嵐山の山肌に面していることが理由ではないかと考えられる。浄土真宗仏光寺派本山・仏光寺は、京都洛中の平地にあるが、堂宇は東面して建てられている。中山法華経寺は、鬼子母神堂は南面しているが、祖師堂は東面して建てられている。堂宇を「東面」して建てる意義は、インドの慣習である「君子東面」によるものとする説が有力である。又、東面でも南面でもない仏教寺院・堂宇も存在しており、京都・南禅寺、京都・妙伝寺、京都・本能寺、二条寺町時代の京都・要法寺祖師堂がこれに該当する。大石寺の堂宇でも、例外的に五重塔が西面して建てられている。

これらは仏教寺院の堂宇の向きであるが、須弥壇の本尊(仏像)が南面しているのに対して、導師席が東面している寺院が存在する。例えば鑑真和上が開創した奈良・唐招提寺講堂における法要の導師席は、東向きになっている。唐招提寺講堂の導師席は、常設されているわけではないが、講堂で法要が執行される時に導師席が設営され、導師席は東向きになっている。ここでは毎年519日に唐招提寺講堂で執行される、鎌倉時代に唐招提寺を復興した覚盛を偲んで行われる行事である梵網会(うちわまき)の写真を紹介したい。

 

うちわまき2
 

覚盛(11941249)とは、鎌倉時代中期の律宗の僧。覚盛は殺生戒を守り、蚊も殺さなかったといわれ、その徳を偲んだ法華寺(奈良県奈良市法華寺町にある仏教寺院。奈良時代には日本の総国分尼寺とされた寺院)の尼僧がせめてうちわで蚊を払えるようにと霊前にうちわを供えたのが始まりといわれる。したがって梵網会(うちわまき)は、覚盛没後の鎌倉時代末期には、すでに行われていたと考えられる。南面の仏像(本尊)に対して、導師席が東向きになっているのがわかる。その他に仏教寺院で、導師が東向きに着座するケースとしては、日蓮宗・池上本門寺大堂、中山法華経寺鬼子母神堂等における御開帳のとき、導師が東向きに着座する。では東向きの導師席、東向きの堂宇で最も歴史的に古いのはどれなのか、ということになると、それは奈良時代に鑑真和上が開創した唐招提寺ということになる。堂宇が東面して建てられている天龍寺は、室町時代に足利尊氏が開創した寺院である。このように少なくとも室町時代には、「東面の導師席」「東面の堂宇」が奈良・京都に存在していたことが明らかである。そうなると、大石寺客殿の東面する大導師席は、大石寺66世細井日達法主が言うような「仏界から九界を利益する」ためのものではなく、大石寺客殿を創建した大石寺9世日有が、奈良・唐招提寺をはじめとする「東面の導師席」のパクリである。

ではなぜ大石寺9世日有は、客殿の大導師席を横向き・東向きの大導師席にしたのか。なぜ大石寺9世日有は、法要・行事を行う客殿を創建したのか、という問題が残る。

導師席は、大石寺の他の堂宇・伽藍、奉安堂、奉安殿、御影堂、六壺、宿坊のみならず、末寺寺院の本堂、客殿においても、すべて須弥壇中央の板本尊に正面に向いている。導師席が内陣左側の隅で横向き(東向き)になっているのは、大石寺の客殿だけである。

それは、大石寺客殿という堂宇が、もともとは「おいらん淵殺人事件」で暗殺された「戒壇の大本尊」偽作の仏師・職人の怨霊鎮魂を目的として建立された堂宇だからである。

他宗派の寺院にも、客殿がある寺院、法要・行事を行う堂宇がある寺院は、それこそたくさんある。しかしそれらの堂宇の導師席は、本尊に向かって設置されており、横向きにはなっていない。導師席が横向きになっている堂宇は、現在のところ、唐招提寺講堂の梵網会(うちわまき)の導師席以外に見あたらない。したがって、大石寺9世日有が大石寺客殿の大導師席を横向き・東向きにしたのは、よほどの特別な理由があるからである。その特別な理由とは、おいらん淵殺人事件の怨霊鎮魂以外には、ないではないか。

 

 

66日達・大客殿・丑寅勤行1(原進)
 

(大石寺66世細井日達法主の代の当時の大客殿大導師席・原進写真集『正法の日々』より)

 

68日如・客殿・丑寅勤行1(代替法要)
 

(大石寺68世日如代替わり法要・日如代替わり法要写真集「正嫡」)