「百六箇抄」は大石寺版御書全集、創価学会版御書全集に載っているが、不都合な部分をカット・改作して載せている。「百六箇抄」の全文は大石寺59世日亨編纂の「富士宗学要集」第1巻、「日蓮宗宗学全書」第2巻に載っている。堀日亨は間接表現ながら「百六箇抄」が偽書であることを認めている。日蓮滅後100年以上経ってから起きた「経巻相承」「本迹論争」が「百六箇抄」に載っているのは偽書である証拠。日蓮が鎌倉幕府から十万貫の寄進を受けた史実はなく、日興が身延山久遠寺二祖になった史実もない。日目が日蓮の代理で京都の天皇に天奏した史実もない。1280111日の段階で、日興は白蓮阿闍梨号を日蓮から授かっていないし、六老僧も定まっていなかった。日蓮は「本門寺戒壇(本堂)」思想を全く説いていない。日蓮在世の時代は、身延山久遠寺と弟子の布教拠点があっただけで、「惣貫首」の名前はなかった。後世の偽作である日蓮本仏義、「日興嫡々相承の曼荼羅」が載っている。「百六箇抄」が古文書の中に初出するのは、1480年の左京阿闍梨日教の著書「百五十箇条」が最初であり、「類聚翰集私」にも出てくる。こんなデタラメな文書は、完全な偽書である証拠である。