「本尊三度相伝」は御書全集には載っていないが、「富士宗学要集」第1巻に載っている「本尊七箇相承」と並ぶ有名な曼荼羅本尊書写指南の文書であるが、偽書である。大石寺59世堀日亨は、実質的に「本尊三度相伝」が偽書であると認めている。「釈迦」という単語が出てくるが、日蓮も日興も、釈尊・大覚世尊・世尊・釈迦如来というふうに尊号で読んでおり、釈迦という下すような言い方をしていない。釈迦・天照大神・日蓮・上行一体の義が説かれているが、これは日蓮の教説の中にはない。本尊三度相伝にも「十界互具」が説かれているが、日興は「十界互具」になっていない曼荼羅本尊を64幅も書写している。「日蓮聖人」という三人称の単語が出てくるが、日蓮自ら「日蓮聖人」という単語は使わない。「本尊三度相伝」は「本尊論資料」の中に載っている日朗門流の本尊口伝・本尊聞書・本尊相伝とほぼ同一である。さらに三位日順「本門心底抄」にも同一の文がある。「本尊三度相伝」の中に、偽書・二箇相承、百六箇抄の「富士山本門寺戒壇」「富士山本門寺本堂」と同義の「本門寺戒壇」の単語が出てくる。これも日蓮の教説の中にはない。これらにより「本尊三度相伝」なる文書が、日蓮、日興とは無関係の偽書であることが明らかである。