1334年から1405年までの72年間、大石寺門流と保田妙本寺・小泉久遠寺(日郷門流)の間で、大石寺東御堂、蓮蔵坊、西坊地等をめぐる所有権争いがあったことは歴史的史実。紛争の史料が「富士宗学要集」「富士日興上人詳伝」に収録されている。少なくとも大石寺は1338—1365年の間、1366---1393年の間、二度、保田妙本寺・小泉久遠寺の日郷門流に占拠されていた。上野郷地頭が保田妙本寺・小泉久遠寺貫首・日伝を「大石寺別当」と呼んでいる。大石寺にあった日蓮御影像が日郷門流によって保田妙本寺に持ち出されてしまった為、大石寺6世日時は、日蓮御影像を造り直している。この日時再造の日蓮御影像は現在、大石寺御影堂に祀られている。この「大石寺vs日郷門流72年紛争」は、「戒壇大本尊」「唯授一人血脈相承」「最初仏」「日蓮歯骨」「相伝書」の偽作を検証・解明する上で大きなポイントである。本当に日興・日目在世の時代から大石寺に「戒壇大本尊」「唯授一人血脈相承」「最初仏」「日蓮歯骨」「相伝書」が存在していたならば、大石寺が日郷門流に占拠されていた時代に、全て保田妙本寺・小泉久遠寺に持ち出されていたはずだからだ。「大石寺vs日郷門流72年紛争」が史実ということは、「戒壇大本尊」「最初仏」「日蓮歯骨」「相伝書」が今の大石寺に在ること自体が大きな矛盾である。つまり、「戒壇大本尊」「唯授一人血脈相承」「最初仏」「日蓮歯骨」「相伝書」といったものは、「大石寺vs日郷門流72年紛争」が終わった後で、大石寺で「偽作」されたということである。