大石寺「戒壇の大本尊」は楠木の板本尊である。これは大石寺58世日量の「富士大石寺明細誌」、大石寺59世堀日亨の「富士日興上人詳伝」、大石寺66世細井日達の「日達上人全集」に明確に書いてある。1216世紀は地球が「小氷期」に入っていたとの説は、20世紀の時代からさまざまな研究論文が発表され、今や学術的には定説となっている。ヨーロッパが14世紀以降に小氷期に入ったとの説があるのは、東アジアよりもヨーロッパのほうが、メキシコ海流の影響等で温暖だからである。日本では1231年に「寛喜の大飢饉」が起こり、鎌倉時代から江戸時代にかけて飢饉が頻発して社会混乱が起きている。13世紀のチンギスハーンのモンゴル民族の領土拡大戦争は、小氷期に入って食べ物がなくなり、食べ物を求めて周辺国に侵略していったという説が有力になってきている。日蓮遺文にも、鎌倉時代の身延山が小氷期であったことを証する遺文がある。弘安元年(1278)11月の「兵衛志殿御返事」には「雪堅くなる事金剛の如し…酒は凍りて石の如し…其の身の色、紅蓮大紅蓮(地獄)の如し、声は婆々大婆々地獄に異ならず」とある。公安2(1279)12月の「上野殿御返事」には「五尺の雪降りて本よりも通わぬ山道塞がり、訪いくる人もなし…食絶えて命すでに終わりなんとす」と書いてある。これは日蓮自身が、日蓮在世の身延山久遠寺が小氷期だったことを書き綴った文である。こんな極寒地獄の地に楠木は自生していない。「慧妙」は「今の身延山久遠寺に楠木がある」と言っているが、問題は小氷期の鎌倉時代の身延山に楠木があったかどうかであり、今の身延山の楠木を言っても、全く無意味である。()