1970年にはじまった正本堂の意義付け問題、国立戒壇の名称不使用宣言、1972年の正本堂の意義についての訓諭、1974年の妙信講解散処分、浅井甚兵衛・浅井昭衛の信徒除名、松本日仁・八木直道の擯斥処分で最終的に妙信講問題は裁判に突入したが、1977414日、全当事者が全ての訴訟取り下げ、請求権放棄、即時抗告権を放棄して和解している。その和解条項の中に、裁判所は教義問題に不介入であること、両者は今後、二度と裁判をやらないこと、両者は本件和解が宗教上の活動の正統性の承認、制約ではないことを確認している。この「和解」により、妙信講(顕正会)本部常住本尊は、そのまま祀られることになり、妙信講(顕正会)が「日蓮正宗」の名を冠することも認められた。現在、顕正会は「富士大石寺顕正会」と名乗っているが、日蓮正宗が「大石寺の名を冠するな」との訴訟も何もしないのは、この和解があるためである。さらに訴訟取り下げを承認させるために、日蓮正宗は妙信講に「顕正寺」を建立寄進している。これは今の顕正会典礼院である。「顕正寺」建立は、和解条項にはなく、日蓮正宗は公式に発表していないが、顕正会側が発表している。これはいわば訴外の密約と言えよう。又、両者は二度と裁判をやらない、ということが和解条項にあるので、両者の問題解決の場として「話し合い」の場が秘密裏に設定されていると考えられる。ただし、この日蓮正宗と顕正会の和解に、妙観講は入っていない。1977414日の時点で、そもそも妙観講は存在していない。妙観講は「日蓮正宗法華講理境坊妙観講支部」といい、日蓮正宗法華講の一講中で、大石寺理境坊に所属する講中であるわけだから、日蓮正宗に指導責任、監督責任、民法の使用者責任があると言えるが、根本的に、日蓮正宗の指導責任を追及する立場の顕正会が、日蓮正宗と和解しているため、日蓮正宗の指導責任を追及できない。そのため、妙観講と顕正会の紛争は、実質的に野放し状態になっている。