日蓮正宗、創価学会、顕正会の「日蓮正宗系」団体は、まさに日蓮「原理主義」体質である。かつて1950年代の「折伏大進撃」のころ、戸田城聖二代会長は「信心は日蓮大聖人の時代に還れ、教学は日寛上人の時代に還れ」と叫び、創価学会が主導して大石寺版御書全集を発刊。御書学習会や教学試験等、日蓮遺文を学習する活動を展開し、日蓮の時代への回帰を目指した。がしかし、彼等の言う「日蓮の時代」とは客観的史実とは関係なく、日蓮正宗、創価学会、顕正会が勝手に思い描いたものであった。顕正会は三大秘法抄、一期弘法抄の国立戒壇を標榜し、日蓮正宗、創価学会は国立戒壇を棄てたと非難しているが、三大秘法抄、一期弘法抄は偽書である。創価学会は自分たちこそが日蓮遺命の広宣流布をやってきた、日蓮直結の団体だと言っているが、創価学会は今でも日蓮真筆の曼荼羅本尊はひとつも持っておらず、大石寺法主が書写した曼荼羅本尊を拝んでいる。日蓮正宗は大石寺「戒壇の大本尊」と大石寺法主の「唯授一人血脈相承」を標榜して、これに信伏随従しない創価学会、顕正会、正信会を邪教と決めつけているが、「戒壇の大本尊」も「唯授一人血脈相承」も後世の偽作である。日蓮正宗、創価学会、顕正会は自分たちこそが日蓮遺文に忠実であろうとし、自分たち流の解釈を加えていった。そしてお互いがお互いを「日蓮の教義を歪めている」と非難攻撃している。まさに原理主義である。原理主義の最大の問題は、宗祖が説いたと称する教義、言説、教えを憲法、法律よりも優先させようとすることである。中世の人が説いた教義には、現代の憲法、法律と合致しないものが多々あることは事実である。憲法20条で「信教の自由」が保障されているが、宗教団体は、憲法や法律を無視して好き勝手放題、何をやっても良いということではない。日蓮正宗系のみならず、世界各地には、現代の法治主義や人権保護とは正反対の風習や宗教的慣習がいまだに遺っています。しかしそれらは先進国の政治家やジャーナリズムから批判されて、少しずつ是正されつつあります。憲法や法律を無視して、殉教、終末思想、仏敵論、仏罰論、堕地獄論をふりかざしてもいいとは、ならないはず。憲法や法律を守ることを最優先すべきである。