創価学会は、201411月の会則変更で「弘安二年の御本尊は受持の対象とはしない」と宣言したのだが、これは「戒壇の大本尊」の否定ではない。なぜなら東京八王子の東京牧口記念館に祀られる本尊は、1951年に戸田城聖が願主になり、大石寺64世日昇が下附した「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の脇書が入った曼荼羅本尊。201311月に新築落成した創価学会総本部・広宣流布大誓堂に祀られる本尊は、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の脇書が入った曼荼羅本尊を、19751月に池田大作会長が板本尊に模刻した本尊。あの有名な創価学会の昭和52年路線の板本尊模刻事件で有名な板本尊だが、しかしこの板本尊は、197711月、大石寺66世細井日達法主が創価学会旧本部・師弟会館に下向して開眼入仏を行い、そのまま師弟会館に祀られ続けていた板本尊である。矢野絢也氏の著書「私が愛した池田大作」によれば、創価学会本部5階の「広宣会館」の曼荼羅は板本尊だったと書いている。この板本尊は何の板本尊なのか。198210月に阿部日顕法主が池田大作名誉会長に下付した「賞与本尊」が、板本尊だという情報もあり、この本尊の可能性もある。創価学会員が今、日々拝んでいる「日寛新本尊」(日蓮正宗が言うニセ本尊)は、日蓮正宗の元寺院であった栃木県小山市・淨圓寺が所蔵していた享保5年(1720年)の大石寺26世日寛書写の曼荼羅本尊をコピーした本尊である。「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の脇書が入った曼荼羅本尊にしても、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の板本尊にしても、享保5年(1720年)の大石寺26世日寛書写の曼荼羅本尊をコピーした本尊にしても、このいずれもが教学的位置づけは、大石寺「戒壇の大本尊」なる板本尊の分身散体である。今は数が少なくなったが、創価学会員の中には、今も宗創和合時代に日蓮正宗寺院で下付された曼荼羅本尊を拝んでいる会員がいる。又、池田大作をはじめとする創価学会会長、理事長、副会長、参議といった最高幹部は、かつて大石寺法主から、願主の個人名が入った「常住本尊」、懐中に持参できる「守り本尊」が授与されていた。彼らは今でもこれらの本尊を受持して日々拝んでいるようなのだが、これらの本尊もまた、大石寺「戒壇の大本尊」なる板本尊の分身散体である。こうした創価学会の信仰活動の実態を見れば、今でも創価学会員は、大石寺「戒壇の大本尊」なる板本尊を「間接的に」受持していると言える。又、創価学会は今でも日蓮正宗のことを「宗門」と呼んでいる。宗門とは、自分の宗派を呼ぶ言葉で、創価学会は今でも日蓮正宗を同じ「宗門」と看做しているということである。こういった信仰活動の実態からしても、201411月の会則変更での「弘安二年の御本尊は受持の対象とはしない」との宣言は、創価学会が「戒壇の大本尊」を否定したわけではない。創価学会は、現在に至るも、公式には一度も大石寺の「戒壇の大本尊」は偽作だと断言したことはない。創価学会は教義条項の改訂で、日蓮の真筆本尊と書写した本尊は全て「本門の本尊」であり、「戒壇の大本尊」も「本門の本尊」であるとしているが、「大謗法の大石寺にあるから受持の対象にしないと決めただけ」と言っている。ということは、創価学会は今でも「戒壇の大本尊」は日蓮真筆説であるということである。