日興跡条条事が大石寺9世日有の偽作である証拠の第一は、日興跡条条事の第二条の文「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし」である。この「弘安二年の大御本尊」とは、「戒壇の大本尊」のことであり、「本門寺」とは百六箇抄、二箇相承の「富士山本門寺」である。つまり日興跡条条事の「弘安二年の大御本尊」を懸け奉る本門寺とは、百六箇抄の「富士山本門寺本堂」、二箇相承の「富士山本門寺戒壇」と同一である。これは19721012日の正本堂完成奉告法要での大石寺66世日達法主の慶讃文に「日達此の正本堂に日興跡条条事に因んで本門戒壇の大御本尊を安置し奉ったのである…事の一念三千本門戒壇の大御本尊を安置し奉る此の処は即ち本門事の戒壇にして真の霊山、事の寂光土なり」(日達全集第21p106)と言っていることからしても明らか。証拠の第二は、1476(文明8)523日の「土佐吉奈連陽房聞書」(日有談諸聞書)に日興跡条条事が初出していることである。1476年とはまさに大石寺9世日有の代で、その日有が日興跡条条事を引いて説法していたのを、僧侶が書きとどめている。(富士宗学要集第2p145)