日蓮は遺文の中で、おカネの価値・労働の対価・合法的カネ儲けそのものは、全く否定していない。だから日蓮正宗寺院住職や創価学会員がよく言う「カネ儲けよりも信心が大事」「おカネはあの世に持っていけない」「だから信心せよ」というのは、間違った解釈である。それから日蓮正宗では、大きな行事にかこつけて、信者から多額の供養金を集めているが、日蓮は「多額の布施・供養をせよ」とは言っていない。又、創価学会員は「創価学会のために使ったお金は、後で巡り巡って自分の手元に戻ってくる」などと言っていたが、日蓮は「供養したカネは返ってくる」などとは、全く言っていない。釈迦如来が説いたとされる経文に「物欲・金銭欲を離れよ」という主旨の説法がある、と言っていた日蓮正宗寺院住職や創価学会員がいたが、釈迦如来の経文の大半は、出家僧侶に対する説法であり、在家信者への説法ではない。日蓮の「松野殿御返事」の「然るに在家の御身は但余念なく南無妙法蓮華経と御唱えありて、僧をも供養し給ふが肝心にて候なり。それも経文の如くならば、随力演説も有るべきか」(平成新編p1051・創価学会版p1386・日蓮聖人遺文全集2-p1272-1273)は、日蓮がおカネの価値・労働の対価・合法的カネ儲けを否定した指南ではないし、多額の供養を持ってこいと言った指南でもない。