大石寺9世日有以前の大石寺には、根本本尊はない、本堂はない、御影堂はない、日蓮灰骨もない、経済力はない、スポンサーの檀那もない、何もない状況で経済的に疲弊していた。大石寺9世日有は、1432年の京都天奏で、京都で大寺院が京都の裕福な商人・町衆の供養で繁栄していた現実を見て衝撃を受ける。大石寺は、一般庶民や町衆から供養金を受けるだけのシステムが全く整っていなかった。大石寺9世日有は、湯之奥金山の金の利権を持って、莫大な経済力を持っていたが、しかし当時は甲斐国の戦国大名・武田氏は湯之奥金山を把握していなかった。知恵のある人であれば、武田氏が湯之奥金山を掌握してしまうと、大石寺法主の下に、湯之奥金山の金が入ってこなくなることは、容易に予測できる。したがって、湯之奥金山の金の利権以外に、大石寺9世日有は大石寺の集金システムを整備・確立させようとした。大石寺が天皇や公家の帰依を受けるなど、到底無理な話で、一般庶民や町衆、商人の帰依を受けて、供養金を手にするには、本尊・本仏・血脈・日蓮木像・偽灰骨・相伝書(偽書)を整備する必要があったのである。