「生死一大事血脈抄」が偽書である証拠の第一は、この生死一大事血脈抄も最蓮房日浄授与を称する不審文献の一つ。日蓮真筆も古写本も全く存在せず、室町時代に出版された「録外御書」に突然登場する。証拠の第二は、最蓮房日浄という人物が、事跡がほとんどわからない人物であること。証拠の第三は、「血脈相承」という単語は、偽書や不審な書に出てくる単語。A本因妙抄は大石寺9世日有の偽書。B百六箇抄ぱ大石寺9世日有の偽書。立正観抄は、最蓮房日浄授与の不審な書のひとつである。証拠の第四は、撰号の「桑門日蓮」が文末に出てくること。証拠の第五は、「十王は裁断し倶生神は呵責せんか」とあるが、倶生神(同生・同名)は閻魔大王に善行・悪行を報告する役割で、呵責はしない。証拠の第六は、「信心の血脈」なる教義が、報恩抄、観心本尊抄をはじめとする日蓮五大部・十大部の遺文の日蓮教説と全く矛盾する。証拠の第七は、法華経を持つ人に信心の血脈がある人と、ない人がいるというのは、日蓮の教説にない。よって、生死一大事血脈抄は偽書である。