「身延山に常に40人から60人の人がいた(来ていた)」というのは日蓮正宗・法華講員が唱える説で仏教宗学研究会はこの説を採っていない。前回の検証は、仮に法華講員の説を採ったとしても、日蓮は飢餓地獄・極貧生活になった、という検証である。が、しかし法華講員の説は正しくない。それはなぜか。第一に、日蓮は身延山入山直前から飢餓・極貧地獄状態で「此の御房たちも皆帰して但一人候べし」と弟子達を里に帰したと日蓮が言っている(富木殿御書)。第二に、「心は静かに庵室結びて小法師と我が身計り御経読みまいらせんとこそ存じて候に。かかるわづらわしき事候はず」(弘安元年1129日・兵衛志殿御返事)と、日蓮がたくさんの人が身延山に来ることを「わづらわしき事」と言っており、これはおかしい。信徒がたくさん来るのなら、供養金を持ってくるはずだから、日蓮は歓迎するはずである。第三に、日蓮の弟子檀那・信徒が日蓮に多額の供養をしているのに、供養の直後から日蓮が極貧・極寒・飢餓生活を書いていること。第四に、身延山入山から飢餓・極貧状態で、弟子を養えずに里に帰しているのに、日蓮が身延山に新弟子を住まわせるはずがない。日蓮は弟子を養えないのである。したがってこれらの状況を総合的に勘案すると、日蓮は高利貸しからの借金返済で極貧・極寒地獄になった可能性が高いということである。日蓮は身延山入山当時から飢餓・極貧状態で、飢餓・極貧状態の最中で食いつないでいくには借金するしかない。鎌倉時代に高利貸・金融業者がいた。A 借上(かしあげ) 平安時代後期から南北朝時代にいた金融業者・宋銭が広く流通した12世紀以降見られる。B 土倉(どそう・どくら・つちくら)物品担保の金融業者・無担保の高利貸金(無尽銭土倉)もいた。・さらに土倉を営む酒屋がいた。日蓮は大の酒好きで酒が唯一の楽しみの人だったので、日蓮はこれらの金融業者から借金した可能性が高い。C 祠堂銭(しどうせん) 故人の冥福を祈る祠堂の管理・修繕・供養費用として寺院に寄進する金銭(祠堂銭)を元手にした仏教寺院が営んでいた金融業者。これは日蓮は利用していないと考えられる。金融業者は古来から高利が当たり前。当時は利息制限法も出資法も貸金業規制法も銀行法もない。武家・御家人・庶民も借金地獄になっていた。わかりやすい事例として、昭和・平成の「サラ金(消費者金融・街金・小口金融)ブーム」があり、ここで問題化した「サラ金三悪」(過剰な貸付け・過酷な取り立て・高すぎる利息)がある。これは昔も今も変わらないようである。昔の金利はトイチ(十日で一割)が横行・元金10万で1ヶ月の利息が3万・1年で36万・元金の3.6倍になる。永仁の徳政令(1297)が出たのは日蓮滅後15年が経ってから。ただしみれは御家人のみである。借金地獄になっている人は給料日のその日のうちに給料全額が借金返済に充てられ手元にカネがなくなる・生活ができないからさらに借金を重ねる・借金で生活する状態・家賃・光熱費・電話代も支払えなくなる・給料差し押さえ・毎日毎晩深酒をして憂さ晴らししている・小林一行(故人)他タクシー運転手がそんな状態だった。その状況と日蓮の経済状況が、非常によく似ているのである。多額の供養金が入っている直後に極貧・飢餓生活になっているとは、給料日のその日に手元にカネがほとんどない借金地獄の人とよく似ている。日蓮が、人が身延山に来ることを「わづらわしき事」と言うのは、その中に借金取りがいたからではないか。曽谷殿御返事の「去ぬる三月の御仏事に鵞目其の数有りしかば今年一百余人の人を山中にやしなひて十二時の法華経を読ましめ談義して候ぞ」の解釈も、日蓮正宗の解釈が間違いで、仏教宗学研究会の解釈が正しいことが、ますます裏付けられる。日蓮が大の酒好きであるのも、毎日深酒していた借金地獄の人と状況がよく似ている。したがって日蓮は高利貸しからの借金返済で極貧・極寒地獄になった可能性が高い。飢餓・極貧・借金地獄の日蓮に「戒壇の大本尊」造立は絶対に不可能である。そんな経済力は日蓮にはなかった。