讃岐本門寺とは四国・香川県三野町にある日蓮正宗本山寺院・最寄り駅は、JR四国の予讃線・みの駅(旧高瀬大坊駅)から徒歩1分のところにある。英昭彦は、 1988年・1991年・2016112223日に行っている。ここの御会式が毎年11/2211/23に行われる・御会式の時に境内で大坊市が行われる。大石寺の御大会が11/2011/21に行われるのに、引きつづいて讃岐本門寺御会式がある。現在は日蓮正宗本山寺院は、讃岐本門寺の他は静岡県富士宮市の富士妙蓮寺・九州・宮崎県日向市の日向定善寺の三ヶ寺・かつては保田妙本寺も日蓮正宗だったときは日蓮正宗本山だった。讃岐本門寺は本山だから、住職は能化に決まっている。近年は能化以外の僧侶が住職になる場合もあり。讃岐本門寺の開創は1289年・日華開基で本門寺開創したが兵火で焼失している(日華上人・日仙上人が本門寺寺号を使っていることが、日興在世当時、本門寺思想が本当にあったのかどうか、疑義の根拠のひとつになっている) 1323年・日仙を開基として法華堂(讃岐本門寺大坊)を開創している。1648年・北山本門寺末寺になり法華寺と改称・「讃岐法難」が起こる。しかし讃岐本門寺は大石寺末寺の意識が強く、1833年・大石寺48世日量が讃岐本門寺に逗留。1875年・大石寺52世日霑が讃岐本門寺で説法している。1946年・讃岐法華寺と塔中8坊末寺2寺が日蓮正宗に合同・本門寺と改称している。 37代住職を大石寺66世日達が兼任・38代住職を大石寺67世日顕が兼任していた。その間の1973.9-1985.1三好智浄氏が副住職として、(大野阿智浄房日透大徳)が讃岐本門寺に常駐して実質管理していた。しかし三好智浄氏の墓所は歴代住職墓所から離れた所に建てられている。しかも日蓮正宗は死後の能化追贈も歴代住職加歴もしない、実に冷たい態度を取っている。39代は稲尾慈正氏(法護阿日淳贈上人・死後に能化追贈)40代は横田智研氏・41代は梶原慈文氏(日経・能化に昇進している)。中心堂宇は本堂(御影堂)で日蓮の日仙授与本尊の板本尊と日蓮御影像が祀られている。七間四面なので、こじんまりしている。開山堂は日興の板本尊と日仙の御影像が祀られている。今でもお賽銭が投げ込まれる。客殿は日興の板本尊が祀られる。大石寺客殿の真似をしており、導師席が横向きになっている。朝勤行が午前630分からやっていて、丑寅勤行はやっていない。1980年代に行ったときは日顕手植えの木が切り倒されていたが、2016年に行ったときは日顕手植えの木が繁茂していた。塔中坊の奥之坊、西之坊は今でも正信会僧侶が住み続けている(日蓮正宗は不法占拠と言うが裁判で生存中は住み続けることが認められている) 駐車場なし・安易に路上駐車していると駐車違反の取り締まりにあってしまう。電車で行った方がいい。