1「僧と俗は令法久住と広宣流布について一体の使命をもつものであります。ただし、一体といっても、その中に自ずから区別があります。すなわち僧侶はとくに令法久住という意義において、在家は折伏、広宣流布という面において、それぞれ重大な使命を担っているのであります」(1980.11.26創価学会創立五十周年総登山会・日顕法主説法)

2「ここで考えなければならないことは御婦人に対して『日蓮と同じく法華経を弘むべきなり』と仰せになっていることであります。あるいは『諸法実相抄』に『力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし』との御指南もありますが、僧侶だけが法を弘めるということではなく、在家の方もまた法を弘めるべきであるということをはっきり仰せられている意義を深く考えなければならないのであります。例えば古い御信者の中に“私は信心は一生懸命にいたしますし、御供養もさせていただきます。しかし他の人に向かって法を説くとか弘めるということは御僧侶のされることであって、法を説くなどということは在家の分に超えた行いである”というような考えを持っておる人が多々おりました。」

3「しかしながらこれは、はっきり申しまして大きな誤りであります。この『寂日房御書』を拝しても解るとおり、大聖人の正法を信じ奉る僧俗は共に他に向かって折伏し、自行化他の修行に精進しなくてはならないのであります」(日顕全集1-1-p11081983.5.15富士妙蓮寺・寂日房日華650遠忌法要)

4日顕法主が「在家信者は折伏をしなければならない」根拠としている「寂日房御書」「諸法実相抄」はいずれも大石寺9世日有の偽書(動画416.421. 623.631.)

5 「在家に折伏」を説く「御講聞書」「日興遺誡置文」も大石寺9世日有の偽書(動画451.464.483.490)

6 経典にも日蓮遺文にも在家信者に折伏・布教せよとは全く説かれていない