1979年ころは正信覚醒運動の僧侶が宗内全僧侶の2/3を占めていた・日顕法主派は少数派だった・1979-82年にかけて正信覚醒運動(正信会)僧侶の半分が日顕法主に寝返った(動画732)それでも最終的に宗内全僧侶の1/3が擯斥・カバーする寺院教会・大石寺出張所を建立・僧侶の穴埋めが必要・つきつづき池田大作氏の協力必要だった。

□「穴埋め策」の一環として池田大作氏が発願した創価学会による二百ヶ寺建立寄進・これで正信会寺院があった地域をカバー・池田大作氏の協力必要だった。

東京世田谷区-善福寺(正信会)          --宣徳寺(宗門建立)

東京江戸川区-白蓮院(正信会)          —大護寺(二百ヶ寺建立)

□日顕法主登座直後に池田大作氏と密約していた・「池田大作氏・創価学会が全面的に日顕法主を支持・支援するかわりに正信会問題が片づいた後に池田大作氏を総講頭に復帰させる」--日蓮正宗と創価学会は過去にいろいろな密約を結んできている(動画168)

□しかし日顕法主は池田大作氏を総講頭に復帰させたが1990年に「不開門」「本門寺改称」する気はなかった

1980年代後半において池田大作氏が創価学会各種会合において「広宣流布」「舎衛の三億」達成の檄を飛ばしていることをジャーナリスト内藤国夫氏が著書に書いている

1986228日刊行「創価学会・池田大作のあくなき野望」P82-83

聖教新聞に掲載されていない池田大作氏の「広宣流布達成を必ずやり遂げる」とのスピーチを載せている。

「お集まりの皆さんはUFOみたいにありえないことと考えられるかもしれないけど、これから私がいうことは本当に実現してみせます。私が生きている間に、創価学会の会員を必ず三千万人以上にしてみせる。海外では十億人を達成したいけど、まあ、少なめにみても三億人までは折伏して、広宣流布を実現します。きっとやり遂げてみせます」(池田大作氏発言)

これは1988年ころから顕正会と正信会が「本門寺改称阻止キャンペーン」を大々的に始めるが、それよりも2年以上前(19862)に刊行されている本で説得力がある。

1989630日刊行「創価学会・公明党・スキャンダル・ウオッチング」

P39P264

「池田は平成2(1990)を、広宣流布達成の年にしようとしている。来年(1990)は学会創立六十周年、戸田前会長の三十三回忌、大石寺開創七百年であるとともに、自らの会長就任三十周年、池田にとって大きな節目の年である。この年に連合政権を樹立し、日本の広宣流布を完結したと宣言、大石寺にある不開門を開き、大石寺を本門寺と改称する、その上で博正へのバトンタッチを図る」(P264)