昨日、とつぜん、ニュースが私の元に飛び込んで来ました。
日蓮正宗の信者のトップが座る職である法華講総講頭で、法華講連合会4代委員長であった柳沢喜惣次氏が4月27日に死去したとのことです。
柳沢喜惣次4

享年は 何歳か不明ですが、この人は、日蓮正宗大石寺67世法主・阿部日顕とそんなに違わない年齢と聞いているので、優に80才は超えているものと思われます。
28日に通夜、29日に葬儀が本行寺にて営まれるとのこと。

柳沢喜惣次氏は、東京・向島の日蓮正宗古刹寺院・常泉寺の向かいにある日蓮正宗寺院・本行寺の信者で、大石寺67世阿部日顕が本行寺住職だった当時、本行寺法華講の講頭になった。
昭和30年代に常泉寺信者・平沢益吉氏の主導で法華講連合会が結成された時には、平沢益吉初代委員長の下で、連合会総務部長に就いていた。
ところが、昭和40年代において、平沢益吉初代委員長をはじめとする連合会執行部と柳沢喜惣次氏、島崎満氏ら本行寺法華講幹部が衝突。
柳沢喜惣次氏は、法華講連合会総務部長を辞任する。
昭和50年代に入り、創価学会の昭和52年路線、池田大作総講頭辞任、大石寺66世細井日達法主の死去を経て、67世法主にかつて本行寺住職だっ た阿部日顕が登座すると、阿部日顕の肝いりで、法華講連合会に対して、柳沢喜惣次氏を幹事として入れるよう、宗務院から圧力がかかる。ところが法華講連合 会執行部と確執が多かった柳沢喜惣次氏を連合会幹事として受け容れることに、佐藤悦三郎2代委員長以下が猛反対し、この紛争が結局、委員長、理事、幹事の 総辞職事件にまで発展する。
1980(昭和55)年、阿部唯七郎3代委員長の下で、柳沢喜惣次氏は正式に連合会総務部長に復職。その後、副委員長に昇格し、阿部唯七郎委員長が退任した後、法華講連合会4代委員長に就任。
1998(平成10)年3月、池田大作が願主になって建てられた大客殿を取り壊した後に建てられた、客殿新築落慶の折りには、阿部日顕法主から法華講総講頭に任命されている。
総講頭任命状1

法華講総講頭とは、日蓮正宗の全信者のトップ職で、かつて「戒壇の大本尊」の写真を撮影・公開したことで有名な由井一乗氏や創価学会の戸田城聖、池田大作も法華講総講頭であった。
池田大作は、1964(昭和39)年4月、大客殿落慶法要の席で大石寺66世細井日達法主から法華講総講頭に任命されている。
柳沢喜惣次氏は1998(平成10)年3月、客殿新築落慶の席で、67世阿部日顕法主から法華講総講頭に任命されているというのは、何とも皮肉な巡り合わせに見える。

それにしてもこの人の場合は、阿部日顕が本行寺住職だったときは本行寺法華講講頭、阿部日顕が大石寺法主に登座すると、法華講連合会総務部長→副委員長→委員長→総講頭というふうに出世。生涯、阿部日顕という人物をサポートしつづけた人生を送ったと言えましょう。

しかし、人生の大半を阿部日顕サポートに費やしたことについて、ご当人は、どのような思いだったのでしょうか。本心から納得していたのでしょうか??
故人の冥福を祈ります。