日蓮正宗においては、大石寺登山や末寺の御講などの年中行事、葬儀、法事等によって、毎年のように、年間にして200億円もの金集めを行っているものと推定されるのである。

 

これに対して、日蓮正宗がいわば“養っている”人たちの人件費とは、どれくらいかかっているのだろうか。

“養っている”人たちとは、法主を先頭に、塔中坊、末寺寺院の住職、教師、所化などの僧侶と寺族である。寺族(じぞく)とは、住職の妻、子どもたちのこと。

この法主を先頭に住職・僧侶と寺族は、日蓮正宗にどれだけいるのだろうか。

 

日蓮正宗には現在、総本山大石寺を筆頭に、日本をはじめ海外各地に約620ケ寺の塔中坊・末寺寺院・寺院出張所・布教所があり、それそ゜れに住職・担当教師がいる。

さらに住職の下で副住職として、あるいはただの平の教師として(無任所教師という)在勤している僧侶がおり、さらに一人前の教師僧侶にまだ昇格していない所化と呼ばれる修行僧もいる。

日蓮正宗ではここ30年の間、毎年30人前後を僧侶として得度させ、新弟子として採用してきているので、これらの僧侶が少なくとも900人はいる計算になる。

単純に計算して住職620人に900人を加えて、僧侶だけで1500人はいるものと思われる。

寺族はどうかと言うと、独身の住職もいるが、あえて住職を妻帯者と仮定し、日本の平均出生率1.2で計算すると、寺族の数が1400人くらいになる。

よって僧侶と寺族で約3000人はいるものと推計される。

 

ではこの人たちの生活費は、どれくらいの金額がかかっているのだろうか。

これらの人たちの生活が一般市民と違うところは、土地代や住居費がまったくゼロであること。

住居費がなく、水道光熱費や通信費をふくめた一人当たりの生活費は、おおよそ7万円もあれば、足りるのではないか。

生活費を一人7万円とすると、僧侶と寺族を併せて約3000人の生活費は、日蓮正宗全体で月に約21000万円。一年間で約252000万円もあれば、日蓮正宗全体で僧侶と寺族が、楽に生活できるのである。

 

ということは、年間にして200億円の金集めを行っている日蓮正宗における、人件費は25億円。

全体のたった12%ぐらいしか占めていない。

僧侶に毎月3万ほどの手当てをつけたとしても、年間で54000万円。それでも人件費は総額で30億円にしかならない。

つまり200億円のうちの170億円ほどの大金が、日蓮正宗の金庫の中に毎年のように、蓄財されていっているということである。

170億円というと、あの奉安堂建設のために日蓮正宗は168億円を信者から集めているので、毎年、奉安堂一つが建つくらいの金額を蓄財する力をもっているということだ。

 

 

これは実働信者数を末寺別に計算してみても、ほぼ同じような計算になる。

日本国内の実働信者数30万人を国内の末寺寺院580ケ寺で均等割りしてみると、1ケ寺あたり実働信者数が517人となる。

この実働信者数が、毎月の御講に1000円の供養金を差し出しただけで、寺には毎月51万円のあがりがある、ということになる。

ましてや御講の相場は1000円どころではなく、3000円くらいと言われているので、御講における末寺寺院の収入だけで、155万円という莫大な金額になる。

 

一部の地方の日蓮正宗寺院は、自力経営が困難で総本山大石寺からの財政援助なしではやっていけない“民生寺院”状態である、という情報もあることはあるが、しかし日蓮正宗全体としてみれば、まさに金満状態、というか金余り状態。貧乏どころか、なかなかリッチな懐具合の宗教なのである。民生寺院状態になっている所など、ほんのごく一部なのではないか。

 

ただ毎年170億円もののカネをそっくりそのまま蓄財をしているかどうかは、疑問だ。

実際に、総本山大石寺や末寺寺院の豪勢な建築ぶり、法主をはじめ末寺寺院の住職のリッチな生活ぶりは、さまざまなところから聞こえてくる。

寺院の中の掃除、洗濯や食事の支度から炊事、台所の一切のやりくり、寺院の受付までやらせる家政婦を何人も雇っている寺院。豪勢なホテルとまがうような庫裏を建設した寺院。中には、法主が末寺に下向した時に使う専用室を造ってある寺院もある。

妙声寺1


国産車、外国車でも、最高級車と言われるランクの車を乗り回している住職。

日蓮正宗法主が常時乗っている車も、ベンツなどの最高級車である。

日蓮正宗では、あり余ったカネを、それなりに僧侶や寺族たちの奢侈な生活、住職個人の贅沢に回しているのだろう。が、それにしても法主や住職たちのこれらの贅沢というものは、一般世間の常識の範囲を越えているものであると言える。