日蓮正宗の金集めに関連することで、ずいぶん前に、東京・駒沢の日蓮正宗寺院・宣徳寺で見たことを記しておかねばなりません。

宣徳寺2


宣徳寺(せんとくじ)は、東京都世田谷区駒沢にある日蓮正宗の寺院で、正式な名前は、真法山(しんぽうさん)宣徳寺という。ここは1982年(昭和57年)7月に、建立された、割と新しい日蓮正宗寺院であるが、住職は、開創以来、日蓮正宗宗務院渉外部長の秋元広学氏。私としては、日蓮正宗や創価学会を研究していく途上で、秋元広学という人物がどういう人物なのか、直接見ておく必要があると思い、ここを訪ねたわけである。

 

そもそも、宣徳寺という寺院が建立された経緯は、「正信会事件」が深く関わっている。というのは、日蓮正宗大石寺vs正信会の戦争が1980年代に勃発して、正信会寺院の住職が全員、日蓮正宗大石寺67世阿部日顕法主によって、住職罷免・擯斥(破門)になったが、正信会住職のほうは、阿部日顕からの「破門」の通告を認めず、寺院に居すわりつづけた。裁判所のほうも、正信会住職の寺院居座りを、その住職が死亡するか、自主的に退去するまでの間、認めたため、日蓮正宗では、 正信会住職が居すわりつづけた寺院の近隣に、新たな寺院を建設して行った。

東京も、世田谷区に善福寺、目黒区に妙真寺という日蓮正宗寺院があるが、善福寺は原田知道氏、妙真寺は山口法興氏という、いずれも正信会住職が占拠しつづけたため、日蓮正宗が新たに宣徳寺という末寺を建立したというわけである。つまり、宣徳寺という寺院は、善福寺と妙真寺が日蓮正宗大石寺の末寺として復帰するまでの間の「代用寺院」として建設されたものであった。

 

ちなみに20076月、善福寺住職・原田知道氏が死去したため、善福寺は日蓮正宗に返還され、日蓮正宗大石寺68世早瀬日如法主から任命された住職が赴任し、豊島区池袋の法道院から法道院正蓮講支部が移籍して、善福寺の所属信徒となった。

また2011年に妙真寺住職・山口法興氏が死去して、妙真寺は日蓮正宗に返還され、早瀬日如法主から任命された住職が赴任している。かくして「代用寺院」の宣徳寺は、御用済みになったのかと思いきや、その後も廃止されずに存続しているようである。

 

さてその宣徳寺の裏側は、駐車場になっていて、駐車場に目をやってみると、なんと日の丸リムジンの超高級ハイヤーが停まっていた。あの超高級ハイヤーは、宣徳寺住職・秋元広学氏が利用するためのものなのか。阿部日顕法主が乗っているセンチュリーだかベンツだかの法主専用車よりも、もっと贅を尽くした車に見えた。

それにしても、秋元広学氏のものすごいリッチな生活ぶりに、ビックリしてしまった。

私が宣徳寺に行っていたのは、まだ創価学会の信者が日蓮正宗寺院に参詣していた宗創和合時代のことだが、あの当時は、創価学会の信者の供養金で、秋元広学氏の懐具合も良かったのだろうとは思う。

それにしても、あの超高級ハイヤーは、ちょっと異常ではないだろうか。さすがに驚いてしまった。秋元広学氏は、あの超高級ハイヤーに乗って、どこへ行くのだろうか。大石寺か?

あの超高級ハイヤーを見たら、さすがの法主もビックリするのではないだろうか。それとも、秋元広学氏は、法主・阿部日顕と、贅沢ぶりを競争しているのだろうか。

秋元広学(渉外部長)

 

 

そういえば、日蓮正宗大石寺67世阿部日顕法主の下で宗務院の役員をしていた藤本栄道(日潤)総監、大村寿顕(日統)教学部長、早瀬義寛(日如)庶務部長、尾林広徳(日至)海外部長は、軒並み、生きているうちに日号を名乗る特権が与えられる「能化」(のうけ)に昇進している中、秋元広学氏は能化になっていない。宗務院渉外部とは、日蓮正宗の対外的な裁判を担当している部署で、秋元広学氏はそこの責任者の渉外部長。

ひょっとしたら「シアトル買春事件」や「芸者写真事件」の裁判で、日蓮正宗側が敗訴したことが、阿部日顕法主の怒りを買って、能化になれずに干されているのだろうか?

あるいは、阿部日顕法主と贅沢ぶりを競争していた?ことが、祟ったのだろうか?

もし、こういうことが原因で法主から干されているとしたら、まさにお気の毒としか言いようがない。