前回、宣徳寺のことを書いたので、つづきを書いておかなくてはなりません。

そもそも私が宣徳寺の朝の勤行会に寺跡調査に行った理由は、日蓮正宗宗務院渉外部長を勤める宣徳寺住職・秋元広学氏を実見したかったからなのだが、この人、渉外部長の職のために大石寺に行っていることが多いからか、なかなか宣徳寺の朝の勤行に出仕してこない。

いつ宣徳寺に行っても、朝の勤行の導師は、若い所化僧。というわけで空振りが多かったですね。

宣徳寺という寺院は、私の生活行動範囲の中では、なかなか不便な所にあり、ここへ行くこと自体、なかなかたいへんだったのに加えて、やっとのことで宣徳寺に行っても、住職の秋元広学氏が、大石寺に行っていて不在が多く、なかなか秋元広学氏を宣徳寺で実見することができなかったわけです

そしてある日の朝、ようやく朝の勤行に秋元広学氏が出仕してきて、やっと実見することができたわけですが、印象としては、あまりいい印象はもちませんでした。

 

東京都内の日蓮正宗寺院には、だいたいどこも、若い所化僧がいる。所化僧は中学・高校までを大石寺から通学し、高校を卒業して大学に入学する年齢になると末寺在勤を命じられて、末寺に行く。それで大学を卒業すると、再び大石寺に戻って在勤し、大石寺で教師に補任される、というパターンになっている。

つまり末寺に在勤している所化僧は1822才くらいの年齢。つまりこれらの若い所化僧たちは大学生というわけだが、東京都内の寺院に在勤する所化僧は、東京・渋谷の富士学林大学科・法教院に通っている所化僧が多い。

そういう所化僧は、通学の交通の便を考慮されて東京都内の寺院で在勤しているわけですが、都内の寺院で全員がおさまらないため、川崎市、横浜市などの東京近郊の寺院に在勤している所化僧もいる。

各寺院に在勤する所化僧の人数は、各寺院でまちまちで、多い所では67人ぐらいいたと思います。東京都内では、常泉寺、常在寺、法道院、宝浄寺、妙光寺といった由緒寺院、宗門役僧が住職を務める寺院に、所化僧が多かったと思います。今でもそうだとは思いますけども。

 

宣徳寺にも若い所化僧が45人いたと思います。

宣徳寺の本堂での勤行を終えた秋元広学氏は、在勤している所化僧を引き連れて歩いていたが、秋元広学氏は、それらの所化僧たちを、まるで家来か下人のように扱い、自分は、あたかも封建専制領主のように振る舞っていたのが、とても印象に残りました。

しかも秋元広学氏の声が、なかなかドスがきいており、まさに上から目線、上からの物言いで、所化僧に言いつける姿たるや、なかなか迫力があるんですねえ。

しかも、その偉そうな態度たるや、日蓮正宗大石寺67世阿部日顕法主をはじめとする、宗門高僧らをはるかに上回っているという感じ。見ていて、心底、ため息が出ました。

宣徳寺1

 

「僧侶の世界なんてそんなもんだ」と言ってしまえば、それまでかもしれないが、しかしよく考えて欲しい。この宗教は「折伏」「広宣流布」を旗印に、自分たちの教え・本尊を強引・執拗な迷惑千万なやり方で、世界中に広めようとしているわけです。

しかもこの宗教の内実足るや、中世で時計が止まってしまったかのような、封建的体質丸出しの宗教である。

私は、こんな宗教が世に広まるのは、害悪でしかないと思う。強引なやり方で広めようとするならば、それは阻止しなければならないだろう。