■検証161・「戒壇の大本尊」が本当に身延山の日蓮の大坊に存在していたならば、弟子・信者の誰も知らないはずがない6

 

「戒壇大本尊」が本当に身延山大坊に存在していたなら弟子・信者の誰も知らないはずがない

 

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(日蓮正宗の妄説)

そもそも、「天台沙門」を自認して、釈尊一体仏の像に執着したり、大聖人御筆の御本尊を死人と共に埋葬(まいそう)してしまうような五老方が、御本尊の意義、なかんずく本懐中の本懐というべき大御本尊の重大意義を、もとより気付けるわけがない。それが理解できるような方々であったら、邪宗謗法化して、日興上人から厳しく破折されることになどならなかったであろう。

(日蓮正宗謀略機関紙『慧妙』平成17216日号より)

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「アンチ日蓮正宗」では、日蓮の本尊や教義の意味を理解するしないに関わらず、日興以外の五老僧をはじめとする日蓮の弟子・信者が、「戒壇の大本尊」なる板本尊の存在を知らないということ自体が矛盾である、と言っているのである。それは、日蓮正宗大石寺66世法主細井日達が

「戒壇の大御本尊は大聖人ご在世当時、また日興上人がいらした当時、身延山で本堂に安置されていたものであります。また当時は、大聖人がおいでになるところが本堂であり、御入滅後は御本尊のおわしますところが、本堂となってきたものであります。

そして本堂で御本尊に信者が参拝したのであり、大聖人ご在世当時、身延へ参拝したのは信者だけですから、だれでも直接に御本尊を拝めたのです」

(日蓮正宗宗務院機関誌「大日蓮」昭和404月号/「聖教新聞」S40.2.20)

 

第1回正本堂建設委員会1


第1回正本堂建設委員会2
 

と、誰でも直接、「戒壇の大本尊」なる板本尊を拝めたと言っていることからしても、なおさら、矛盾であるといえる。大石寺66世細井日達は「だれでも直接に御本尊を拝めた」と言っていることからして、これは日興以外の五老僧をはじめとする日蓮の弟子・信者が日蓮の本尊や教義の意味を理解するしないに関わらず、「戒壇の大本尊」なる板本尊を拝めたということに他ならないではないか。したがって、日蓮正宗の言うように、仮に日興以外の五老僧をはじめとする日蓮の弟子・信者が「大御本尊の重大意義」なるものを理解していなかったとしても、「戒壇の大本尊」なる板本尊を拝めたということは、「戒壇の大本尊」なる板本尊の存在は知っていたはずである。

にもかかわらず、日蓮の弟子・信者たちのだれも「戒壇の大本尊」なる板本尊を知らないということは、おかしいと言っているのである。

 

 

身延大坊に「戒壇の大本尊」を遷座したのであれば日蓮の弟子・信者が「戒壇の大本尊」の存在を知っていて当然

 

ましてや、弘安四年(1281)に身延山中の日蓮の草庵に代わって大坊を新築したとなれば、草庵に祀っていたはず?の「戒壇の大本尊」なる板本尊を、新築の大坊に遷座しなくてはならない。正本堂遷座や奉安堂遷座では「戒壇の大本尊」なる板本尊を台座に乗せて810人前後の僧侶が担いでいるが、日蓮の新大坊に「戒壇の大本尊」なる板本尊を遷座したのであれば、同様に日蓮の弟子・信者が総出で、「戒壇の大本尊」遷座に当たらなくてはならないはず。ならば尚更のこと、日蓮の弟子・信者が「戒壇の大本尊」なる板本尊の存在を知っていて当然ではないか。

日蓮の弟子・信者が誰も「戒壇の大本尊」なる板本尊を知らないのは、まさに「戒壇の大本尊」なる板本尊が、日蓮在世当時、身延山に存在していなかった証拠である。

 

戒壇本尊・正本堂遷座3
 

(197210月の「戒壇の大本尊」正本堂遷座・197210月の聖教新聞)

 

戒壇本尊・奉安殿遷座1
 

(19984月の「戒壇の大本尊」奉安殿遷座・19985月号「大日蓮」)

 

戒壇本尊・奉安堂遷座2
 

(200210月の「戒壇の大本尊」奉安堂遷座・200212月号「大日蓮」)