日蓮正宗常在寺という寺院は、池袋駅東口から徒歩56分くらいのところにある南池袋公園のすぐ近くにある日蓮正宗の寺院で、正式には霊鷲山常在寺という。

常在寺3


今から30年以上前になりますが、まだ私が学生だったころ、池袋近郊に住んでいたことがあり、なおかつ、池袋東口で長らくバイトをしていたこともあり、常在寺の前の道をよく歩いていました。

私は学生のころから、創価学会員による強引・執拗な折伏等による宗教被害を受けていたため、少しづつではあったが、日蓮正宗や創価学会の研究をはじめ、次第に知識を得ていた。

そういった中、日蓮正宗寺院が信者であるなしに関わらず、誰でも日蓮正宗寺院の本堂の中に入れることを知り、寺跡調査をはじめたというわけである。これが私にとっての、日蓮正宗寺院の寺跡調査のとっかかりである。

 

さてその常在寺の入口は常に開放されており、階段を上がっていくと正面に受付。左が本堂。本堂入口の手前左側には、談話する小ロビーがあった。

本堂の須弥壇は、中央に板本尊、向かって左に日蓮像、右に日興像が祀ってある。これは大石寺の客殿と同じ形式である。

本堂の中には、朝、昼、夕方と常に多数の信者がここに来て、それこそ一心不乱に「南無妙法蓮華経」を連続的・反復的に唱える唱題を行っていた。私がここを知っていたころは、日蓮正宗と創価学会が和合路線を歩んでいた「宗創和合時代」だったから、おそらくここへ来ていた大半の信者は、創価学会員だったのではないかと思われる。

 

私もいろいろと日蓮正宗寺院を知っているが、毎日のように多数の人が常に本堂で唱題をしているという寺院は、宗創和合時代でも、そんなにたくさんは見かけなかった。同じ池袋にある日蓮正宗寺院・法道院の本堂も、たくさんの人が本堂で唱題していたが、人数的には常在寺のほうが多かったように思う。

このたくさんの信者が一心不乱に「南無妙法蓮華経」を唱えている姿を見た私の感想は

「こんなに毎日、長時間の唱題をする時間とエネルギーがあったら、もっと他の生産的なことや芸術をたしなむこととかに費やせばいいのに」

ということであった。

 

ある日、談話ロビーで、何人かの信者の話しを聞いたことがあったが、ここで長時間の唱題をしている信者たちは、それこそ口々に「私は今日は3時間の唱題をした」「今日は5時間の唱題をした」…という感じで、それぞれが長時間の唱題を自慢しているような有様。

中には、ここで何と10時間の唱題をしている信者さえいたのである。124時間の内、10時間もここで唱題をしていたというのだから、これには驚きました。もうこの人たちの“非常識な”感覚には、驚き恐れ入って、言葉も出ませんでした。

 

 

「驚くべき膨大な時間と労力の無駄遣い・浪費」

「そんな5時間・10時間も南無妙法蓮華経ばっかり唱えているヒマとエネルギーがあったら、その分、ちゃんと働くなり、勉強するなり、すればいいじゃないか」

「まだ、映画観たり、観劇に行ったり、遊んだほうがよっぽど有意義だよ」

正直言って、こんな感想をもちましたね。5時間・10時間も南無妙法蓮華経ばっかり唱えているなどというのは、まさに狂気のカルト宗教です。

 

常在寺の本堂で長時間唱題をしていた人たちの顔ぶれは、それこそ老若男女さまざま。学生風のひともいれば、主婦もいるし、老人もいる。背広姿のビジネスマン風の人もいました。仕事をさぼって唱題していたんだろうか。

ハタから見ていて、実に不可思議な光景に見えました。

 

日蓮正宗も創価学会も、こんなに寺院の本堂で、延々と5時間・10時間も南無妙法蓮華経ばっかり唱えている狂った信者ばかりを育成して、まさに狂ったカルト宗教だと思いました。

宗教法人法に則った信者の育成からは、大幅に逸脱していますよ、これは。