■検証166・「願主弥四郎国重」の説が法主によってバラバラなのは「本門戒壇の大御本尊」が後世の偽作である証拠だ5

 

□「本門戒壇の願主」が架空の人物になっていることが「本門戒壇の大御本尊」が後世の偽作である証拠2

 

「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊の授与書に書いてある「本門戒壇の願主」の名前が、架空の農民信者の名前になっているのは、どう考えても矛盾であり、このこと自体が大石寺の「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊が日蓮の造立ではなく、後世の偽作であることを証明していると言える。

戒壇の建立について「三大秘法抄」では

 

「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり」(平成新編御書全集p1595)

--戒壇とは、王法(政治)と仏法が冥合して、天皇から万民に至るまで、本門の三大秘法の仏法を持ち、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を今の末法の世に移したような時代が到来した時、勅宣並びに御教書を授かって、釈迦如来在世の霊山浄土に似たような最勝の地に戒壇を建立すべきである。その広宣流布の時を待つべきである。これが事の戒壇である--

 

と書いてあり、この定義によれば、日蓮が遺命した「事の戒壇」は、日蓮の仏法が広宣流布する日に建立されることになる。

そうすると本門戒壇の願主は、天皇であるとも言えるし、時の信者の総代表者であるとも言える。

しかし日蓮正宗では、正本堂建立の時、時の信者の総代表者である法華講総講頭・創価学会会長の池田大作氏を願主ではなく、発願主とした。願主になったのは、時の法主である66世細井日達であった。

 

こう言うと日蓮正宗では、「『本門戒壇の大御本尊』を御安置する堂宇が本門事の戒壇だ」などと言ってくるが、仮に日蓮正宗が言うように、本門事の戒壇を「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊を祀る堂宇だと定義しても、話しは同じである。

日蓮在世の時代に、本当に「本門戒壇の大御本尊」が造立されていたとすれば、その願主は、農民信者ではなく、僧階最上位の六老僧のいずれかになっていなくてはならないはずである。

これは日蓮7回忌の1288(正応元年)68日に造立され、現在、東京・池上本門寺大堂に祀られている「日蓮聖人御尊像」と呼ばれている日蓮木像の願主が六老僧の日持と中老・日浄となっていることによって証明される。絶対に架空の信者ではない。

池上大堂・日蓮2

 

(池上本門寺発刊『霊寶殿』に載っている池上本門寺大堂・日蓮祖師像の写真)


したがって、どこをどう検証しても、どこをどう突いても、「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊の授与書に書いてある「本門戒壇の願主」の名前が、架空の人物になっていること自体が、矛盾である。このことが「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊が後世の偽作である証拠なのである。