日蓮正宗大石寺67世阿部日顕法主が、総本山大石寺の会合・講習会などの席で、何度も創価学会的な全体主義の理想像を説いている。

例えば、こんなことを言っている。

 

「狂ってはおるけれども、創価学会のような組織ぐるみの日蓮正宗に対する誹謗は、かなりまとまったものがあるといえます。それに対して、せっかくの尊い法華講において方向性が一定しないような形があるならば、将来の正法広布、破邪顕正のための不十分な姿がいつまで経っても払拭できないようなことになると思う・・・」

(平成65月 総本山大石寺大客殿で行われた全国教師寺族指導会での阿部日顕法主の発言・『大日蓮』平成66月号)

67世日顕7

 

これは日蓮正宗と創価学会が紛争を起こす前の宗創蜜月時代のものではない。阿部日顕法主が創価学会を破門にしてから2年半後くらいの発言である。

つまり阿部日顕法主は、創価学会のような組織ぐるみで軍隊的な統制のとれた組織行動を日蓮正宗の信者の団体である法華講に望んでいる、ということである。

日蓮正宗の信者が軍隊の兵士のように、上官のいいつけや命令を忠実に守り、反抗も批判もせず、一糸乱れず創価学会を破折するという理想像。

法華講・日蓮正宗の信者たちは、そういうふうに、法主の傀儡になれ、つべこべ文句を言わずに、法主の指南どおりにやっていればいいのだ、というわけである。

そうして日蓮正宗は、末寺は、信者を増やしていけ・・・という。

それができなければ「将来の正法広布」は心もとないなどと言っているのである。阿部日顕法主が何を指向しているのかが、端的に現れているといえるのではないだろうか。

 

ここには個人の権利とか自由な思考や民主的な発想など、わずかも感じられない。そんなことは全く念頭にないようである。

創価学会を破門にした後においても、創価学会のような全体主義的体質を理想像においている。これではナチドイツ、ソ連、中国、北朝鮮の独裁者の発想と全く同じである。

 

戸田城聖会長の折伏大進撃(強引な折伏・勧誘)開始以来、会長の軍隊式の絶対的統制のもと、ただひたすら多人数の信者獲得に固執し、正本堂や会館などの堂舎の華麗さを追求してきた創価学会のあり方は、「民衆仏法」の看板とは裏腹に、多くの民の犠牲の上に池田大作氏が君臨するという権力主義的な構図そのものであった。

そして会員一人一人は置き去りにされて、あくまでも創価学会という組織が最優先される。まさしく全体主義的構図そのものである。

つまり百のためなら一が殺されてもやむをえない、あるいは当たり前だという考え方で、創価学会が広宣流布を総体革命だとして、政治権力を奪取する夢を見たのも、この考え方の延長線上にある。

今また、創価学会を破門にした日蓮正宗がそれまでの体質や歴史を反省することなく、全く過去の創価学会と同じ図式で信者獲得の号令を打ち出しています。

創価学会、顕正会と全く同じ独善性であり、日蓮正宗が創価学会と全く同罪である本質が実によく現れている発言と言えよう。

こういうことに対して、普通の常識人なら、重大な危惧を憶えるのではないだろうか。ここは北朝鮮ではない。日本である。

こういう発言を読んでいると、阿部日顕法主をはじめとする日蓮正宗は、日本から退去して、北朝鮮にでも行ってもらいたいと思います。