■検証178日蓮正宗大石寺9世法主日有以前には「本門戒壇の大御本尊」の影も形も何の形跡もない2

 

□大石寺66世細井日達の「大石寺本堂に戒壇大本尊があった」との説法は全くの詭弁

 

日蓮正宗大石寺9世法主日有以前には「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊の影も形も何の形跡も全くない。これでは日蓮正宗大石寺にとっては、都合が悪いと思ったのか、かつて日蓮正宗大石寺66世法主・細井日達は、次のような説法をしていた。

 

「身延の日興上人御在住の時の十間四面の堂には、『日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊』即ち戒壇の大御本尊を安置してあったことは明らかであります。その大御本尊を日興上人が大石寺の本堂に安置され、大聖人生身の御影は御影堂に安置せられましたが、その後、本山の陵夷により本堂御影堂が一堂となり、戒壇の大御本尊は御影とともに安置されてあったようであります。しかしその後、御宝蔵が大きく造立せられてから、大御本尊は御宝蔵にお移し申し、御影堂には日精上人の板本尊が安置せられたと思われます」(昭和471月号『大白蓮華』に寄せた指南)

66世日達1

 

細井日達は、あたかも日興が身延山久遠寺から離山して大石寺を開創したと同時に、大石寺に本堂と御影堂を建てて、本堂に「本門戒壇の大御本尊」を安置し、日蓮の像(御影)を御影堂に安置したかのように言っているが、だいたいからしてそんな事実は全くない。

そんなことを書いてある文献は、堀日亨の書籍・文献はおろか、日蓮正宗大石寺の歴代法主の書物にも全くないもので、これは全く細井日達の空想の文にすぎない。

日興が開創して日有以前の大石寺には、日興が開創した大坊(六壺)と、弟子たちが創建したいくつかの宿坊しかなかった。

日興が開創したのは本堂ではなく大坊(六壺)であり、日蓮正宗の正式文献の「大石寺案内」にも、

「六壺は、二祖日興上人の開創で、総本山発祥の霊域である。はじめ六室に分かれていたのでこの名があると伝えられ、その一壷を持仏堂とした」と記載されている。

しかもその持仏堂に安置されていたのは、「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊などではなく、1303(嘉元1)813日に「富士大石寺持仏堂安置本尊也」と脇書きに記した、自ら書写した大漫荼羅本尊である。

また「日蓮正宗富士年表」によると、栃木県の日蓮正宗寺院・信行寺には、1306(徳治1)48日に日興が「白蓮持仏堂安置本尊也」と脇書きに記した、自ら書写した大漫荼羅本尊が格蔵されているという。

以上のことからして、日興は自ら開創した大坊(六壺)には、自らが書写した大漫荼羅本尊を祀っていたと考えられるのである。

 

 

また日蓮正宗大石寺に御影堂を最初に創建したのは日蓮正宗大石寺12世法主・日鎮であり、現在の御影堂に再建したのは、17世法主・日精であって、日興の時代どころか、9世法主・日有よりもずっと後のことだ。しかも現在の大石寺御影堂に安置されている日蓮の木像(御影)は、1388(元中5)年に大石寺6世法主・日時が、越前法橋快恵という名の仏師に彫刻させたものだ。

 

したがって、先の細井日達の説法は、何の根拠も証拠もない、ひどいデタラメであり、信者をだます詭弁に他ならない。こんなひどいデタラメを、日蓮正宗の最高位の僧侶であり、最高指導者職である法主が平気で説法しているんだから、本当に驚きだ。

法主自らが、こんなことを言って信者をだましている宗教が、政府から認証された宗教法人としての資格があるのか、まことに疑わしいと言わざるを得ない。