■検証180・聖人御難事の「余は二十七年なり」が「出世の本懐説」とする妄説は完全崩壊している

 

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(不埒な洗脳法華講員・龍神ひろしの妄説)

板本尊を日蓮大聖人が「出世の本懐」と意義付けた直接の証拠。

件の疑難、既に諸氏が破折しており、すでに崩壊しておる。

(『アンチ日蓮正宗VS日蓮正宗』掲示板25に引用されている龍神ひろしの妄説)

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崩壊しているのは、「アンチ日蓮正宗」の「『本門戒壇の大御本尊』なる板本尊は後世の偽作である」で論破されてしまった、日蓮正宗の「本門戒壇の大御本尊・出世の本懐説」のほうである。

戒壇本尊1


「アンチ日蓮正宗」の論破に対して、日蓮正宗側は全く閉口したままではないか。

以下の点は、「聖人御難事」の「余は二十七年なり」が「本門戒壇の大御本尊・出世の本懐説」を証拠付けるとする日蓮正宗の説が、完全に誤りである証拠である。

 

■日蓮が自らの信者が信仰のために命を落としたことを以て「出世の本懐を遂げる時が来た」とするはずがない。自らの宗派のために、信者に死を要求する指導者というのは、危険極まりない人物であり、またそのような宗教の説く教えは、危険極まりない思想である。

■日蓮を守ろうとして刺客に命を奪われた信者は熱原法難以前にもいた。熱原法難は日蓮が出世の本懐を遂げる時期ではなかった。

■現在の日蓮正宗が唱えている「本門戒壇の大御本尊・出世の本懐説」を歴史上、最初に唱えたのは日蓮正宗大石寺56世法主大石日応である。日応以前の法主は誰一人唱えていない。

「聖人御難事」の「余は二十七年なり」が「本門戒壇の大御本尊・出世の本懐説」を証拠付けるものなら、なぜ日応以前の法主は誰も言っていないのか。

■「余は二十七年なり」が「本門戒壇の大御本尊・出世の本懐」の証拠であるとする説を日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨自身が否定している。

■かつて日蓮正宗大石寺67世法主阿部日顕も、「余は二十七年なり」が「本門戒壇の大御本尊・出世の本懐」の証拠であるとする説を否定していた。

■「聖人御難事」の「余は二十七年なり」が「本門戒壇の大御本尊・出世の本懐説」を証拠付けるとする、現在の日蓮正宗の説は、かつての堀日亨や阿部日顕の説と矛盾する。

■日蓮自身が「阿仏房御書」で自らが図顕する大漫荼羅本尊を門弟に授与することを「出世の本懐」と言明しており、これにより「聖人御難事」の「余は二十七年なり」が「本門戒壇の大御本尊・出世の本懐説」を証拠付けるとする日蓮正宗の説が間違っていることは明白である。

■日興は、日蓮の出世の本懐について「日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像」と言っており、これからしても「聖人御難事」の「余は二十七年なり」が「本門戒壇の大御本尊・出世の本懐説」を唱える日蓮正宗の説が間違っていることは明白。

■日蓮は「今の自界叛逆・西海浸逼の二難を指すなり。此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし。」(観心本尊抄・御書全集p661)

と、蒙古が日本に襲来して日本が敗北した時に上行菩薩(日蓮)が出現して、一閻浮提第一の本尊(本門の本尊)を日本の国に建立するであろう、と予言している。

日蓮が、蒙古襲来が終結していない1279(弘安2)10月の段階で「一閻浮提第一の本尊」を造立したら、日蓮自身が自ら言明したことと違うことを行う自己矛盾に陥ったことになる。

 

崩壊しているのは、日蓮正宗の妄説、龍神ひろしの妄説である。