■検証195・「図形鑑別」は「戒壇の大本尊」偽作の証拠ではない4

 

6仮に「戒壇の大本尊」が「日禅授与本尊」の拓本だった場合でも「戒壇の大本尊」を偽作したのは日有であることに変わりはない

 

日蓮正宗大石寺の「戒壇の大本尊」の曼荼羅の図形と「日禅授与本尊」の曼荼羅の図形が仮に一致したとしても、これは「戒壇の大本尊」なる板本尊が後世の偽作である証拠ではないとは言っても、犀角独歩氏、あるいは「河辺メモ」や犀角独歩氏の図形鑑別の支持者は、

「『戒壇の大本尊』なる板本尊は『日禅授与本尊』の拓本だ」

「図形鑑別は『戒壇の大本尊』後世偽作の証拠だ」

などと言い張ってくることでしょう。

では、仮に「戒壇の大本尊」が「日禅授与本尊」の拓本だった場合、大石寺の「戒壇の大本尊」を偽作したのは誰なのか、という問題が発生します。

 

「日禅授与本尊」は古来から北山本門寺に格蔵されていたと伝承されている本尊ですが、現在は大石寺と北山本門寺の関係は、全くの断絶状態です。

したがって大石寺の法主が「戒壇の大本尊」偽作を企んで、北山本門寺に出向いて「日禅授与本尊」を模写したとなると、それは大石寺と北山本門寺が断絶する以前でないと考えられません。

(この点についても、大石寺法主が「戒壇の大本尊」偽作を企んで、わざわざとなりの北山本門寺に格蔵している本尊を模写したりするだろうか、という疑念が払拭できませんが)

 

大石寺と北山本門寺の関係が決裂・断絶になったのは、日蓮正宗大石寺9世法主日有が死去した1482(文明14)97日の「大石寺・北山本門寺・小泉久遠寺の論争」以降のことで、それまでは大石寺と北山本門寺は、開創以来、「刎頸の友」のような関係だったというのは史実です。

又、北山本門寺6代住職・日浄が、「戒壇の大本尊」なる板本尊を「未聞未見の本尊」と言って非難したのは、1493(明応2)年、死去する直前のことです。

 

■日有の死去直後には「戒壇の大本尊」は存在していた

■大石寺の法主が「戒壇の大本尊」偽作を企んで、北山本門寺に出向いて「日禅授与本尊」を模写したのは、1482(文明14)9月以前。

戒壇大本尊1大正4年由井本1 

そうすると、「日蓮正宗大石寺の「戒壇の大本尊」は日蓮正宗大石寺9世法主・日有の偽作だ」で詳しく論述している通り、経済力、新池抄聞書、事の戒壇偽作、三大秘法鼓吹、身代わり本尊彫刻、百六箇抄偽作、日興跡条条事偽作、日蓮本仏偽作、法主の血脈偽作、御宝蔵・客殿創建、といった12の証拠と3の傍証からして、日蓮正宗大石寺9世法主日有による偽作は、変わらないと考えます。したがって、仮に「戒壇の大本尊」なる板本尊が「日禅授与本尊」の拓本だったとしても、「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作した人物は、日蓮正宗大石寺9世法主日有ということになる。

 

ところが、当の犀角独歩氏は、日有偽作説ではなく、大石寺17世法主・日精偽作説を唱えたり、14世日主偽作説に傾斜したりしているのだから、矛盾だらけの論説になっている。

犀角独歩氏が唱える「戒壇の大本尊」日精偽作説、日主偽作説の誤謬・誤りについては「日蓮正宗大石寺の『戒壇の大本尊』なる板本尊は日蓮正宗大石寺9世法主日有の偽作だ」に詳しく論述しているので、そちらを参照せられたい。

□戒壇大本尊は9世日有の偽作だ

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_651104.html

犀角独歩13