以前に「日蓮正宗の黒い疑惑1・日蓮正宗寺院常泉寺で行われた暴力団の発会式」を書いたところ、反響が大きかったので、この常泉寺という寺院が、どういう寺院なのか、について触れておきたいと思います。

常泉寺とは、東京都墨田区向島にある日蓮正宗の古刹寺院で、正式な名前は久遠山常泉寺という。

常泉寺2


ここの最寄り駅は、東武伊勢崎線・業平橋駅より徒歩5分、京成押上線・押上駅より徒歩7分、都営地下鉄浅草線 本所吾妻橋駅より徒歩6分という土地にあるので、ジャンル別を一律に「向島」とします。

常泉寺は元天台僧・日是によって1596年(慶長元年)に創建された寺院で、日蓮正宗では、総本山大石寺に次ぐ名刹である、古刹寺院である。また日蓮正宗では、中途から日蓮正宗に合同した本山格の寺院をも上回る「末寺頭(まつじがしら)」「大石寺末寺筆頭」などとも呼ばれる寺院である。

そして常泉寺歴代の43代の住職のうち、40代住職堀米日淳(大石寺65世法主)、42代住職阿部日顕(大石寺67世法主)をはじめ、18名の住職が総本山大石寺の法主として登座している。それだけの名刹寺院ということのようである。したがって、日蓮正宗内での格付けは、下条妙蓮寺、讃岐本門寺、日向定善寺といった本山格の寺院よりも、上ということらしい。

現在の住職は43代住職・藤本日潤(総監・現重役)である。藤本日潤氏は、日蓮正宗大石寺66細井日達法主の代には、長らく日蓮正宗宗務院庶務部長を務め、67阿部日顕法主の代になってからは、これまた長らく宗務総監を務めていた。

藤本日潤1

 

意外と知られていないことだが、常泉寺住職・現日蓮正宗重役・藤本日潤氏は、現日蓮正宗総監・法道院主管・八木日照氏の実である。

藤本日潤氏は、東京・常在寺住職・日蓮正宗宗務院庶務部長、細井精道氏(後の大石寺66世法主細井日達)の弟子になり、元々の道号を「栄道」と名乗っていた。

八木日照氏は、日蓮正宗僧侶・八木直道氏の養子になり、東京・本行寺住職・阿部信雄氏(後の大石寺67世法主阿部日顕)の弟子になり、こちらのほうは道号を「信宝」と名乗っていた。

八木直道氏という僧侶は、元・要行寺住職で日蓮宗富士派時代の1910年に出家得度した宗内最古参の僧侶の一人であったが、197074年にかけて日蓮正宗内で勃発した、国立戒壇問題・正本堂の意義付け問題から、妙信講破門事件に発展して行った中で、妙縁寺住職・松本日仁氏といっしょに、66細井日達法主から19741015日に擯斥(破門)になった僧侶である。擯斥処分当時は、すでに隠居の身であった。

しかし1986(昭和61)年、自らの非を日蓮正宗法主に謝罪したことが認められ、日蓮正宗に復帰している。 その後、養子の八木日照氏(当時は大石寺主任理事)が住職をしていた大石寺妙泉坊で隠居、19959月、98歳で死去した。

 

常泉寺は、常在寺と並んで、江戸時代初期から将軍のお膝元の街・江戸の中心部に位置していたためか、旧来の信者数も多かったようである。江戸時代の常泉寺の講中は、最盛期には、関東各地に大小合わせて36箇講中あったという。

36箇講中は時代が下るにつれ、統合や解散するなどして昭和20年代には5箇講中になり、1962(昭和37)年に、日蓮正宗法華講連合会が結成されることになり、5箇講中は統合されて法華講常泉寺支部となり、同連合会に加盟した。この日蓮正宗法華講連合会の初代委員長になった平沢益吉氏は、ここ常泉寺の信者である。

 

日蓮正宗寺院では、日本全国・海外にいたるまで、全寺院に「法華講」が結成されているが、それらの大半は、1970年代の創価学会の「昭和五十二年路線問題」か、1991年以降の宗創戦争によって、創価学会を脱会した信者が結成した法華講である。

しかし、大石寺塔中坊、富士妙蓮寺、讃岐本門寺、日向定善寺、池袋・常在寺の他、ここ向島・常泉寺など古刹寺院の法華講は、江戸時代初期、あるいはそれ以前から先祖代々、信者だった檀家が中心になっている法華講である。

ただ、こういった信者の数は、日蓮正宗全体から見れば、ごくわずかなようである。