「アンチ日蓮正宗」主宰者・管理人は、どの宗教も信仰していないし、どの宗教団体にも所属していない。何らかの宗旨宗派もしくは教派教団の教義やイデオロギーを支持する立場にもないし、どこの宗教・宗派・宗教団体も擁護したり応援したりしない無宗教です。

日蓮2


こう言うと

「『旅紀行』やら『ぶらり旅』やらで、寺院巡りに行っているじゃないか」

「今年は池上本門寺に初詣に行ったじゃないか」

などと、的外れな言いがかりをつけてくる法華講員がいる。

 

何度も言っていることだが、無宗教とは、一定の信仰を持たないこと、信仰する宗教をもっていないことであり、一切の宗教拒否という意味ではなく、一切の宗教施設に絶対に参詣しないという意味でも、もちろんない。

無宗教を標榜する人の中には、「神社・寺院など宗教施設の名のつくところへは、絶対にどこへも一切行かない」という、かたくななまでに宗教&宗教施設絶対拒否の人もいるでしょう。しかし、そういうのは「無宗教」であるかどうかの要件ではない。

「無宗教」というのは、一般的な概念は、辞書にあるように「一定の信仰を持たないこと。信仰する宗教をもっていないこと」ということである。

 

もうひとつ言っておくと、日蓮正宗のカルト信者は、池上本門寺をはじめとする日蓮宗寺院に参詣している人は、全て日蓮宗寺院の信者か、日蓮無謬論者だけだと思っているようだが、これもとんでもない見当違いである。

池上本門寺をはじめとする日蓮宗寺院には、もちろん日蓮宗の信者も参詣しているが、それ以外にも、日蓮宗以外の他宗の信者から無宗教者をはじめ、それこそさまざまな人が参詣しているのである。

日蓮宗の寺院は、宗外にも広く門戸を開いている宗旨なのであり、日蓮正宗系のような排他的・閉鎖的な体質は持ち合わせていない。

 

ごく一部に、日蓮宗不受不施派のように、自宗の信者以外の参詣をかたくなに拒否するような排他的・閉鎖的な体質をもつ宗派が存在しているが、こういった宗派は、数多くある仏教宗派の中では、極めて例外的なものである。

日蓮宗に限らず、仏教寺院という所は、自宗の信者に限らず、参詣の門戸を広く開放しているのであり、仏教寺院に参詣したからといって、無宗教ではないというものではない。法華講員のあまりの見当違いな謬見に、失笑を禁じ得ない。

 

日蓮正宗のカルト教義に洗脳されてしまうと、世間の一切が日蓮正宗のような閉鎖的なものに見えてしまうのだろうか。全くもって、お気の毒の極みである。