アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ

正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」。創価学会や顕正会は勿論の事、その本家本元の日蓮正宗自体も「目くそ鼻くそを笑う」的なものだ。創価学会、SGIや冨士大石寺顕正会、正信会、その他の分派団体……これらの親元・生みの親・育ての親・本家本元は、日蓮正宗です。 伝統仏教の仮面をかぶり、国際人権規約(条約)違反の人権侵害を行い、信教の自由から逸脱した専横活動を行い、一般国民の信教の自由を踏みにじる弾圧を行うカルト宗教を規制する新立法・新条約制定を目指します。日蓮正宗、創価学会、顕正会をカルト宗教に指定して司法監視せよ。反日蓮正宗系活動はカルト宗教の専横・独裁・専政・弾圧に抵抗する現代の自由民権運動である。 (「日蓮七百遠忌大法会」終了後、記念撮影する大石寺67世阿部日顕ら日蓮正宗首脳僧侶と池田大作ら創価学会首脳・昭和56(1981)年10月17日付け聖教新聞)

「戒壇大本尊」日精偽作説・日主偽作説の誤謬を斬る

□正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」です
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戒壇大本尊は9世日有の偽作だ(150)~「戒壇の大本尊」の偽作者は大石寺14世日主ではない

■検証150・「戒壇の大本尊」の偽作者は大石寺14世日主ではない

 

大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊の研究者の中に、日蓮正宗大石寺14世法主・日主が「戒壇の大本尊」を偽作したという説を唱えている人もいて、戒壇の大本尊・大石寺17世日精偽作説が破綻した犀角独歩氏が、最近、この大石寺14世日主偽作説に乗り換えようと謀っている。

その戒壇の大本尊・大石寺14世日主偽作説の根拠になっているものは、次のようなものである。

(1) 「本門戒壇御本尊」なる本尊が大石寺14世日主筆の雑録に出てくること

(2) 大石寺9世日有が死去した1482(文明14)年に行われた小泉久遠寺と大石寺の問答を記録した「大石寺久遠寺問答事」には大石寺本尊堂における問答を記すものの、「戒壇の大本尊」の存在には何も触れていないこと

このふたつのようである。

 

□犀角独歩氏らの「戒壇の大本尊」大石寺14世日主偽作説は誤りである

 

(1)の大石寺14世日主筆の雑録とは、大石寺14世日主の著書「日興跡条条事示書」の中の

「大石寺は御本尊を以て遺状と成され候、是れ即ち別附嘱・唯授一人の意なり。大聖より本門戒壇御本尊、興師従り正応の御本尊法体御附嘱…」

の文のようである。確かに「本門戒壇御本尊」という言葉自体は、大石寺14世日主の文献がはじめてかもしれないが、しかしその「戒壇の大本尊」なる板本尊を祀る場所を意味する「事の戒壇」の言葉がすでに日蓮正宗大石寺9世法主日有の時代に出てきている。それは

「日有云く、また云く、大石は父の寺、重須は母の寺、父の大石は本尊堂…此は能生、即本因、本果、本国土妙の三妙合論の事の戒壇なり」(日蓮正宗59世法主・堀日亨の著書「富士日興上人詳伝・下」p84に掲載している「新池抄聞書」)

の文である。この「事の戒壇」という単語は、「戒壇の大本尊の安置する所は事の戒壇」という意味の「事の戒壇」で、大石寺に「事の戒壇」という語が出てくると言うことは、その時にすでに「戒壇の大本尊」なる板本尊が大石寺に存在していたことを意味する。

戒壇本尊1


そもそも、こういう内容の「戒壇の大本尊・大石寺14世日主偽作説」を唱える人たちは、文章の表面しか読んでおらず、仏教の法義・教義の内容に全く暗いことがわかる。

又、これは大石寺の「三大秘法」「三箇の秘法」についても同様で、大石寺が説いている「三大秘法」とは、日蓮が説いた「三大秘法」とは全く別個の「三大秘法」である。

日蓮が説き明かした仏法とは、南無妙法蓮華経と唱えれば、貴賤男女の差別なく一切衆生が成仏できる、というものであり、三大秘法の題目、本尊、戒壇の中では、題目が中心である。

ところが日蓮正宗では、題目よりも日蓮正宗大石寺の法主が書写した曼荼羅本尊を拝まなければダメだと言い、本尊が根本だと言う。さらに日蓮正宗では、「戒壇の大本尊」なる板本尊が祀られている「事の戒壇」に参詣しなければ成仏できない、と言っている。

これは題目よりも本尊、本尊よりも戒壇を中心・根本におく三大秘法であり、こういう教説は、大石寺9世日有が独自に発明し、左京阿闍梨日教が宣揚した三大秘法である。

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戒壇大本尊は9世日有の偽作だ(148)~犀角独歩氏らの「戒壇の大本尊・大石寺17世日精偽作説」は誤りである

■検証148・「戒壇の大本尊」の偽作者は大石寺17世日精ではない12

 

□犀角独歩氏らの「戒壇の大本尊・大石寺17世日精偽作説」は誤りである

 

日蓮正宗大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作した人物が、日蓮正宗大石寺17世法主・日精であるならば、大石寺17世日精の代以前の大石寺には、「戒壇の大本尊」なる板本尊は、存在していないはずである。そして尚且つ、「戒壇の大本尊」なる板本尊は、大石寺17世日精の代になって、はじめて大石寺に登場したはずである。

ところが「戒壇の大本尊」なる板本尊は、すでに日蓮正宗大石寺9世法主・日有の代から、大石寺に存在していたことが文献史料に残っているので、「大石寺17世日精偽作説」はこれらの文献史料と矛盾することになる。

そこで今まで検証してきた「大石寺17世日精偽作説」の矛盾点をまとめてみたい。

 

1 大石寺と同じ富士門流本山寺院である保田妙本寺・小泉久遠寺十一代貫首(住職)日要が、かつて大石寺9世日有から聞いていた説法を、弟子たちに語っていた内容を日果という僧侶が筆録した「新池抄聞書」という文書には、明確に「事の戒壇」の語句が登場している。

「事の戒壇」とは、大石寺では「『戒壇の大本尊』を祀る場所」という意味のことで、大石寺17世日精がはじめて「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作したならば、大石寺9世日有の代に「事の戒壇」の語句が登場するはずがなく、矛盾した論理になる。

2 もし大石寺17世日精がはじめて「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作したのならば、なぜ1493(明応2)年に北山本門寺の六代貫首・日浄が「日有、開山の本懐に背き、未聞未見の板本尊これを彫刻す」と言ったのか?

これも大石寺17世日精偽作説の大きな矛盾点である。

3 大石寺門流ではじめて板本尊を造立したのは大石寺17世日精ではなく、大石寺9世日有である。大石寺9世日有の代に、すでに五体の黒漆塗りに金箔加工の板本尊が造立されている。

もし大石寺ではじめて「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作したのが大石寺17世日精だとしたら、大石寺に「戒壇の大本尊」なる板本尊が造立されるはるか以前に、日蓮正宗の末寺に板本尊が存在していたことになる。これは明らかな矛盾である。

仏教界の厳格な本山・末寺の関係からして、本山の大石寺にもない板本尊を、末寺で造立し祀るはずがない。

4 大石寺17世日精は、元々、京都・要法寺の出身僧侶であり、要法寺13代貫首・広蔵院日辰流の教学に傾斜した造仏読誦論者だった。大石寺17世日精は、三大秘法建立の時に本門の本尊(仏像)が造立されて、三大秘法抄の戒壇に祀られる。

漫荼羅本尊はそのときの設計図であり、三大秘法建立の時までの常途の本尊としていた。

こういう大石寺17世日精教学と「戒壇の大本尊」を祀る処を事の戒壇とする教学は全く相容れないものであり、大石寺17世日精教学から「戒壇の大本尊」偽作は生まれてくるはずがない。

戒壇本尊1


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戒壇大本尊は9世日有の偽作だ(147)~「戒壇の大本尊」の偽作者は大石寺17世日精ではない11

■検証147・「戒壇の大本尊」の偽作者は大石寺17世日精ではない11

 

□「戒壇の大本尊」は大石寺17世日精の代以前から大石寺に存在していた

 

日蓮正宗大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊は、すでに大石寺9世日有の代から、大石寺に存在していたことが文献史料に残っている。それらのものを列挙すると、次のようになる。

 

1 保田妙本寺・小泉久遠寺11代貫首・日要(14361514)が、大石寺9世日有から聞いた説法を、弟子に語った内容を日果が筆録した文書である「新池抄聞書」の文

 

「日有云く、また云く、大石は父の寺、重須は母の寺、父の大石は本尊堂、重須は御影堂、大石は本果妙、重須は本因妙、彼は勅願寺、此は祈願寺、彼は所開、此は能開、彼は所生、此は能生、即本因、本果、本国土妙の三妙合論の事の戒壇なり」(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨の著書『富士日興上人詳伝・下』p84)

「戒壇の大本尊」なる板本尊を祀っている「事の戒壇」という名前が、ここで具体的に、かつ、歴史上はじめて日蓮正宗大石寺に登場する。

 

2 大石寺9世日有が死去した1482(文明14)年に行われた小泉久遠寺と大石寺の問答を記録した「大石寺久遠寺問答事」には大石寺本尊堂における問答の記載がある。(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂『富士宗学要集』9p53)

 

3 1493(明応2)年に北山本門寺六代貫首・日浄(?1493)が死の直前になって「日有は未聞未見の板本尊を彫刻・造立した」と厳しく非難する文書を書いた「富士山本門寺文書集日浄記」の文

 

「大石寺の板本尊は日有(彼山中興)の偽造なり。往昔より兎角に北山本門寺の本堂を蔑如して富士門徒にて争う中に於て、殊に大石寺の邪徒、重須(北山)の本堂を嫉妬し板本尊を偽造して、戒壇の本尊と名付け、且は偽書を造り開山の付属と云い、無窮の妄語を吐き、世間の道俗を誑惑し、無慙無魂を招かるる事也」

「当山第六世日浄上人伝に云く『大石寺日有云く、重須は生御影堂正意、大石寺は本堂正意なり。故に国主本門の正法を立てらるる時は此の板本尊即ち本門戒壇の本尊と云々。』 …

是れ日浄上人は日有の時の人なり。已にそれ未聞未見の板本尊を彫刻すと云う。偽造たること白々たり。又、小泉久遠寺の日要、日我等、日有の真似をして重須は御影堂正意、久遠寺は本堂、能開所開、両寺一味などと云う」

「日有、開山の本懐に背き、未聞未見の板本尊を彫刻し、猶己義荘厳の偽書を造る。…もし、日有の誑惑世間に流布せば、興門の道俗共に無間に堕ち、将来悲しむべし云々」 (「大石寺誑惑顕本書」p6p7

戒壇本尊1 

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戒壇大本尊は9世日有の偽作だ(144)~「戒壇の大本尊」の偽作者は大石寺17世法主日精ではない8

■検証144・「戒壇の大本尊」の偽作者は大石寺17世日精ではない8

 

□犀角独歩氏ら日精偽作説が見落としている江戸時代初期の政治・社会・宗教情勢2

 

こういった徳川幕府草創期・家康・秀忠・家光の時代における「武断政治」により、幕府の命にしたがわない不受不施派が、徹底的に弾圧された。こういった政治情勢・宗教情勢により大石寺門流は、なんとしても徳川幕府公認の宗派として認められるという必要性に迫られていた。

そもそも20世紀半ばの日本国憲法施行以前、特に徳川幕府の時代は、現代のような信教の自由が保障された世ではなく、徳川幕府公認の宗派にならなければ、布教はおろか、寺の存在・生存そのものが許されなかった時代である。これは何も寺院、宗派、神社のみならず、外様大名から親藩・譜代大名・旗本・御家人まで全てがそうであった。

そういう時代の中、徳川幕府は家康・秀忠・家光の初期3代だけで実に122家の大名を改易・減封に処してきている。大名ならずとも寺院、宗派が取りつぶしになれば、それは失業である。

徳川時代の失業というのは、現代の失業とは全く違う。失業保険もハローワークもあるはずがない。徳川時代の「とりつぶし」とは、それこそ「死」を覚悟しなくてはならないものだった。

ましてや不受不施派のように禁圧されてしまえば、死罪・流罪されてしまう恐れさえあった。

 

日蓮正宗大石寺17世法主・日精は、大石寺門流を一宗一派として幕府から公認されるため、養母・敬台院を通じてさまざまな活動を行った。

その中のひとつが「戒壇の大本尊」なる板本尊を御影堂の日蓮木像の後ろに祀り、御影堂に「本門戒壇堂」と自筆した棟札を掲げて、対外的に大石寺が「事の戒壇」であり、大石寺に「戒壇院」「本門戒壇堂」があるということを鮮明したということ。

戒壇大本尊2大正4年由井本2


1636(寛永13)年、徳川幕府は全国の寺院・神社に寺社領の朱印状および安堵状を下賜したが、その中に大石寺は入っていなかった。しかし、1637(寛永14)年、大石寺17世日精は敬台院の推挙により、公儀の年賀に乗輿を免許される。

そして1641(寛永18)628日、徳川幕府三代将軍・家光より大石寺に66石の所領の朱印状が下賜されるということになり、ここに大石寺17世日精は目的を達成することになる。

つまり、要法寺13代貫首・日辰流の造仏読誦論者だった大石寺17世日精は、「戒壇の大本尊」なる板本尊を、「戒壇院の本尊」と称して、大石寺門流を徳川幕府公認の宗派になるために、利用したと言うことである。

1630年(寛永7年)の身池対論で、池上本門寺貫首・日樹をはじめとする不受不施派の僧侶が次々と投獄されて流罪になった事件を見せつけられた大石寺17世日精は、それこそ利用できるものは全て利用し、なんとしてでも徳川幕府に取り入って、大石寺門流を徳川幕府公認の宗派にする至上命題に迫られていた。

 

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戒壇大本尊は9世日有の偽作だ(143)~「戒壇の大本尊」の偽作者は大石寺17世法主日精ではない7

■検証143・「戒壇の大本尊」の偽作者は大石寺17世法主日精ではない7

 

□犀角独歩氏ら日精偽作説が見落としている江戸時代初期の政治・社会・宗教情勢

 

日蓮正宗大石寺17世法主・日精が、「戒壇の大本尊」なる板本尊のことを「戒壇院の本尊」と呼び、「戒壇の大本尊」なる板本尊を御影堂の日蓮木像の後ろに祀り、御影堂に「本門戒壇堂」と自筆した棟札を掲げたということは、大石寺が「事の戒壇」であり、大石寺に「戒壇院」「本門戒壇堂」があるということを内外に宣言しているということになるのだが、なぜ大石寺17世日精はそんなことをしたのか。

17世日精1

 

それは大石寺門流が、徳川幕府公認の宗派となるための一大パフォーマンスだったということである。もうすこし具体的に詳述してみよう。

「戒壇」とは、戒律を授ける(授戒)ための場所を指すのであるが、「戒壇」で授戒を受けることで出家者が正式な僧侶・尼となるが、奈良時代に唐より鑑真が招かれ、戒律が伝えられ、この戒律を守れるものだけが僧として認められることとなった。

そもそも日本への仏教伝来以降、飛鳥・奈良地方に建立された南都六宗である法相宗(興福寺・薬師寺・法隆寺) 、倶舎宗(東大寺・興福寺) 、三論宗(東大寺南院) 、成実宗(元興寺・大安寺) 、華厳宗(東大寺) 、律宗(唐招提寺)の寺院とは、朝廷、天皇、皇族、公家・貴族が建てた、いわゆる「官寺」であり、僧の地位は国家資格であり、国家公認の僧となるための儀式を行う「戒壇」で授戒した官寺の僧侶のみが、朝廷から僧侶として認められたのである。

その後、平安時代に、朝廷公認の仏教は、伝教大師最長が開いた天台宗と弘法大師空海が開いた真言宗の二宗が加わり、南都六宗とを加えて「八宗」と呼ばれるようになる。

当時の日本では、国家公認の僧となるための儀式を行う「戒壇」は、伝教大師最澄が朝廷の勅許で建立した大乗戒壇の比叡山延暦寺と、延暦寺以前からある日本三大戒壇である奈良・東大寺、筑紫・観世音寺、下野・薬師寺をはじめとする官寺の戒壇のみ。朝廷公認の宗派とは、官寺の南都六宗に、伝教大師の天台宗と弘法大師の真言宗を加えた八宗のみである。

それから鎌倉、室町、戦国、安土桃山と時代が下り、浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗といった鎌倉仏教が、朝廷、鎌倉・室町幕府から公認され、日蓮宗も日像の京都開教がきっかけになって、「日蓮大菩薩」号が朝廷から下賜され、豊臣秀吉の方広寺大仏供養、受不受問題を経て公認への路を歩んでいくことになる。

しかし1603(慶長8)年、徳川家康が征夷大将軍に任ぜられて徳川幕府が日本の実権を掌握する世になった以上、大石寺門流としては何としても徳川幕府公認の宗派として認められる必要があった。

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