■検証55・「日蓮本仏義」大石寺9世日有偽作の証拠3・戒壇大本尊偽作と同一人の偽作8
□なぜ大石寺9世日有は「戒壇の大本尊」なる板本尊を等身大に造立したのか2
仏典には釈迦牟尼の身長は常人の数倍と書かれているため、日本では平安時代くらいまでは立像1丈6尺(約4.8m) 坐像9尺(約2.7m)を仏像の身長の基準にして「丈六」と呼んでいた。 これが鎌倉時代に入ると、仏像願主が天皇・公家から武家に移り、コスト削減のため、基準値よりも小さいサイズの仏像を求めるようになった。
こうした中、仏像や位牌を等身大に造立するということは、「丈六」の仏像が造立されていた古くから仏教界では行われていることであり、等身大に造立する意味は、その人物に見立てて造立するということに他ならない。古来からの例を挙げてみると
□北魏で高宗文成帝が等身大の仏像を造らせた
□法隆寺夢殿の秘仏本尊である救世観音像は、古来から聖徳太子の等身大の像として法隆寺に伝承されている。法隆寺夢殿の救世観音像とは、数百年間、秘仏として格蔵されていたが、1884(明治17)年夏に、フェノロサと岡倉天心が、いやがる法隆寺僧を説得して開扉せしめたことで有名な、あの像である。法隆寺の記録によれば救世観音像は高さ六尺五寸(約197cm)後背共八尺(242cm)となっている。
(奈良法隆寺夢殿・救世観音像)
(奈良法隆寺夢殿)
それから等身大ではないものの
□法隆寺金堂の薬師如来像は、聖徳太子の父・用明天皇のためにこれを造営したとあり、いわば用明天皇の位牌のような感じで、用明天皇に見立てて造立された。
□法隆寺金堂の釈迦如来像は、法隆寺の資材帳によれば王后が聖徳太子のためにこれを造ったとするので、これもまた聖徳太子の位牌のような感じで聖徳太子に見立てて造立された。
仏像を故人に見立てるというのは、位牌が日本に伝来する以前だったからである。位牌が中国から日本に伝来したのは、鎌倉時代。禅僧とともに日本に伝来したものである。
「アンチ日蓮正宗」では、長い歳月をかけて全国仏教寺院の寺跡調査を行ってきているが、皇族、公家、武家等の将軍、高官位、位の高い人物の位牌は、等身大ないしは等身大に非常に近いくらい巨大に造立された位牌を各地で発見している。
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